日本語教育〜フィリピンとシンガポール〜
教育学部1年 古屋結麻
①はじめに
私は今まで日本語を外国語として学ぶ友達に出会う機会はなかった。しかし、小学校ではフィリピン人の同級生がいた。さらに、中学校では外国人ではなかったが、シンガポールからの帰国生が多かったため、シンガポールの暮らしについて知ることも多かった。そのため、今回、今まで出会った同級生が暮らした国では日本語教育はどのように行われているのか興味を持ち、フィリピンとシンガポールの二国を選んだ。
②フィリピンの日本語教育
1)日本語教育の変遷
フィリピンにおける日本語教育の始まりは、1923年にフィリピン大学フィリピン言語学で一学期だけ行われた日本語講座であると考えられる。大々的に日本語教育が行われたのは、戦時中に南方諸地域へ派遣された日本語教師によるものが始まりだと考えられる。1942年1月2日に日本軍がマニラに進軍し、その翌日に軍政が開始された。軍政施行1ヶ月後の1942年2月17日にフィリピンにおける教育基本方針を定めた訓令が発された。軍政初期の日本語教育は主に各駐屯部隊の将校が中心となって一般成人を対象にして局地的に日本語教育が行われた。その後、1943年1月から小学校において公式に日本語教育が必修とされた。軍政下において学校教育で日本語が必修とされたのは他の南方諸地域と同様であるが、フィリピンは1943年10月に独立しているため、その期間は一年にも満たず、独立後は授業時間数も生徒数も減った。独立前は日本語が必修だったのに対し、独立後は選択科目とされたのだった。
独立後はタガログ語ベースのフィリピノ語が国語として選ばれ、さらに日本が占領する以前にフィリピンを支配していたアメリカとの強い関係が残り、他国に優る英語力の維持に重点が置かれたため、日本語教育は下火になった。フィリピンでは日本で働くことに生活の希望を見出し、日本に行きたいと考えるフィリピン人や日本のアニメやポップカルチャーに対して関心を持つ若年層も相まって日本語学習者は増えてきている。国際交流基金の2015年度の調査によると日本語の学習者数が50,038人であり、これは世界で9位である。また増減率を見てみると、54.4%増であり、学習者数上位10か国の中で一番大きく増えている。
2)現代の日本語教育
学習者の内訳を見てみると初等教育が2.0%、中等教育が11.2%、高等教育が31.1%、その他教育機関が55.7%となっている。中上級者向けの教育に関しては民間の日本語教育機関が中心ではあるが、高等教育においても選択外国語科目として履修され、主に初級レベルの日本語が学ばれている。アニメや漫画の人気に伴い、一般に大学の選択外国語科目の中ではスペイン語、フランス語をしのぎ最も人気が高いが最近ではKポップや韓流ドラマの影響で韓国語学習への関心が高まっている。
③シンガポールの日本語教育
1)1942年に日本軍はイギリスによる植民地支配を受けていたマレー半島・スマトラ島を占領し、軍政を敷き、シンガポールを昭南島と改名した。日本は大東亜共栄圏建設の重要な要として日本語普及を位置づけ、昭南島でも日本語教育を行っていった。現地青年を対象にした日本語学校である昭南日本学園の開設や映画、新聞、演劇などあらゆる手段を使って組織的に日本語の普及が推し進められていった。日本の敗戦により第二次世界大戦が終結し、日本軍はシンガポールから撤退したものの、日本に入れ替わりイギリスによる植民地支配が継続したため、日本語教育は行われなくなった。その後、現在のマレーシアと共にマレーシア連邦を結成したが、マレーシア政府与党の統一マレー国民組織(UMNO)とシンガポールの人民行動党(PAP)の間で、相互の地盤を奪い合う選挙戦が展開されていたことにより、関係が悪化し、1965年8月9日にマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立した。
独立以降、シンガポールは海外企業に対し精力的な誘致を行い、1966年に戦後賠償協定が結ばれると日本からの技術協力と同時に日本語教育に対する協力も行われるようになっていった。1970年代には、日本企業は次々と東南アジア諸国へ進出した。1979年から日本の企業経営、勤勉な態度、技術などを学ぼうとする「日本を学べ」運動を推進していった。このころの日本語を学ぶ動機としては日系企業に勤めるためというのが主であった。1980年代後半より第一次日本語学習ブームを迎えた。日本の景気低迷の影響を受け、1994年以降民間日本語教育機関での日本語学習者はやや減少の傾向を見せるが、1999年以降、日本のテレビドラマ、アニメ、漫画、ファッションなどの影響で第二次日本語ブームを迎え、日本語学習者数は増加した。
2)現代の日本語学習
学習者の内訳を見てみると、初等教育が0.2%、中等教育が12.4%、高等教育が36.6%、その他教育機関が50.9%である。シンガポールにおける中等教育での日本語教育は第三外国語として行われている。二言語教育は小、中、高校通じて必修であるが、第三外国語の教育の対象となる生徒は限定されており、小学校卒業時に受ける卒業試験で成績上位10%以内に入り、英語と母語において優秀な成績を収めたものだけが対象となる。高等教育では自由選択科目であることが多く、日本文化のクラブなども活発に活動している。その他教育機関では日本語学校だけでなく、公民館において生涯活動として日本語を教えているところもある。
④フィリピンとシンガポールの比較
どちらの国も日本語教育が活発に行われるようになったのは、第二次世界大戦時に日本が軍政を行う上で無理やり推し進めたことが始まりである。日本が敗戦後、一旦日本語教育は中止されたが、その後日本が復興し、経済的に発展した国になると、日本人相手の観光業に就くためや日本に出稼ぎに行くため、日系企業に入るためなど就労を目的とする日本語学習が普及していった。しかし、近年ではどちらの国もアニメや漫画などのポップカルチャーの影響で日本語に関心を持つ若者も多い。
二国の違いは、フィリピンは初級レベルの学習者が多いのに対し、シンガポールでは優秀な生徒が日本語を学ぶことも関係し、高い水準の教育が行われている。また、フィリピンでは日本語の需要はあるものの、日本語教師に対する教育が十分ではなく、教師が不足しているという現状がある。
⑤終わりに
二国とも日本の占領政策が日本語教育の普及の始まりだというのは悲しい事実であると思った。今は少なくありつつある戦争経験者にとって日本語教育は憎むべきものであるかもしれないが、近年は日系企業に就職するためやポップカルチャーの影響のために日本語への関心が高まったというのは、嬉しいことである。日本語教師の不足が原因で日本語を学びたくても学べないという環境は、日本協力しながら解決していくべき問題であり、その国といい関係を築いていくきっかけになっていけば良いと考えた。
⑥質疑応答
1)シンガポールの人口と学習者数は?
→人口:561万人(うちシンガポール人・永住者は393万人)
学習者数:10,798人
2)シンガポールの公用語は?
→公用語:マレー語、中国語、タミル語、英語
国語:マレー語
母国語(中国語・マレー語・タミル語)や道徳の時間以外は英語で授業が行われるのが一般的
3)フィリピンにある日系企業数は?
→1521社(2015年)、これは世界で7位
シンガポールは1141社(2016年)
⑦参考文献
片桐準二「フィリピンにおける日本語学習者の言語学習 Beliefs」
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/research/report/01/pdf/06.pdf 2018/1/15
国際交流基金 http://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/index.html 2018/1/15
国際交流基金 http://www.jpf.go.jp/j/about/press/2016/dl/2016-057-1.pdf 2018/1/17
柴田幹夫 「戦前のシンガポールにおける日本語学校について」
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/5204/1/15_0002.pdf 2018/1/17
宮脇弘幸 「南方占領地における日本語教育と教科書」
http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/126/126-08.pdf 2018/1/18
外務省 「シンガポール共和国」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/data.html 2018/1/22
Philippines inside news
http://ph-inside.com/news/board.php?board=news02&command=body&no=277 2018/1/22
国際交流基金
http://www.jpfbj.cn/sys/wp-content/uploads/2016/11/2015_jieguoshuoming.pdf 1018/1/22
朝日新聞 https://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.pl?Keywords=フィリピン&Searchsubmit2=検索&Searchsubmit=検索 2018/1/22
池端雪浦、生田滋「フィリピン・マレーシア・シンガポール」山川出版社 1977年
©2014 Yoshimi OGAWA