モンゴルの日本語教育
-学習者視点の教科書開発に焦点を当てて-


今井 智絵

 

1. はじめに
 モンゴル国は大相撲などで日本に知られており、近年ではEPAの締結など関係も活発になってきている。日本語教育では学習者数こそ少ないが、モンゴル全人口の200人に一人が日本語を学習しており(ブレンチメグ、馬場2009)、日本語教育が盛んな国の一つと言える。最近では、2015年に国内で初中等教育向けの新たな教科書が開発された。本稿ではこの教科書開発を事例とし、モンゴルの日本語教育の特徴を探る。

 

2. モンゴルの日本語教育
 モンゴル人民共和国(現:モンゴル国)は1972年に日本と国交を樹立、1975年に日本語教育が開始され、1990年の民主化後には学習者が急激に増加した。また、日本語教育機関の90%はウランバートルに集中している(ブレンチメグ、馬場2009)。初中等教育では第二外国語として教えられているが、統一のカリキュラムはなく、開始学年や進度は各学校に任されている(高嶋2013)。高等教育では第二外国語や主専攻として教えられている。

2.1 学習者
 国際交流基金(2016)によると、中等教育段階での学習者が50%近くを占めている。これは、第二外国語を小学校5年生から教授する指針(片桐他2016)の影響と考えられる。中等教育での学習目的は日本留学が挙げられていた(高嶋2013)。高等教育では、経済的利益を考え日本語教師コースより観光日本語コースを選ぶ人が多く(ブレンチメグ、馬場2009)、ガイドなどの仕事に日本語を活用したいという動機がある。コース終了後のレベルについて、守山(2001)では当時モンゴル国立大学では日本語を生かした仕事に就く人もいるものの、それ以外の大学では数人が職業として日本語を使うことができる力をつけているだけだと述べている。現在ではかなり質が向上しているが、20年前まではそれほど力をつけられる環境になかったと考えられる。

2.2 教師・教材と課題
 モンゴルで教師になるには、大学で所定のコースを修める必要がある。日本人が教える場合は、大卒以上で日本語教師の資格があれば教えられる。日本人教師は会話、聴解、漢字、日本事情を教えることが多く、現地教員と役割が分担されている場合が多い。教材は「みんなの日本語」が多く使われている(国際交流基金2016)。近年まで教科書は貸出制のことが多く教材不足であった(守山2001)が、近年は解消しつつある。
 カリキュラムについては、中等教育と高等教育のつながりがないことが課題となっている。中等教育で日本語を勉強したとしても、大学では初級クラスに入らなければならない。また、中等教育では文型や語彙の定着の難しさに加え、転校生への対応も課題とされている(高嶋2013)。

 

3. 初中等教育向け教科書開発

3.1 契機と経緯
 1993年に「モンゴル日本語教師会」が設立されて以来、ウランバートルを中心に勉強会などが開かれてきた。2005年にはモンゴル教育文化科学省より「外国語教育スタンダード」が発表され、「学習者中心/実用的/意味・場面の重視/帰納的/コミュニカティブ」の5つをキーワードにし、教師中心だった外国語教育の発展を目指している。日本語教師会では外国語教育スタンダード、その後「JF日本語教育スタンダード」注の勉強会を立ち上げ、研究を続けてきた。その中で、10歳前後の生徒に合った教材の必要性やコミュニケーション中心の授業を行うためにも、教科書の開発が行われることとなった。そこで、大学教員、日本語上級専門家、初中等機関の日本語教員が合同で開発したのが『日本語できるモン』シリーズである(片桐他2016)。

3.2 『日本語できるモン』シリーズの特徴、成果と課題
 教科書の理念は、(1)社会の中で自分の考えを自由に表現し、相互理解をするのに重要な外国語能力を育成する。(2)子どもたちが自分自身の力で学習を進めていく能力を育成する、の2点である。教科書はひらがな、カタカナ、1−3の上下の8冊があり、4−6年生の学習者に合わせたものとなっている。レベル3終了でCEFRのA1~A2程度に相当する。トピックは家族や学校など身近な内容が多く、コミュニケーションを重視しながら4技能を伸ばせるよう工夫してある。各課には目標と達成度を自己評価する欄が設けられており、学習者が自らの学習を振り返りながら学べる方式になっている(片桐他2016) 。
 新たな教科書を使い始めた成果として、生徒が身近なことに疑問を持って考えるようになった点や、積極的な参加が増えたことが挙げられる。教師も一方的な教授方法から生徒同士が学び合えるチャンスが与えられるようになった。課題としては、従来の「書くことが学習である」というビリーフに固執し、教科書の持つ機能を使いこなせていないことが挙げられている (片桐他2016) 。

 

4. 終わりに
 本稿ではモンゴルでの日本語教育の中で教科書作成を取り上げたが、その作成にはウランバートルに学習機関が集中しているという立地条件により初中等教育機関・高等教育機関・日本語学校などの教員が議論できる教師会や勉強会などの協力関係という特徴が作用したことが考えられる。それに加え、中等教育学習者の割合の多さとカリキュラム編成の自由度、新たなスタンダードの登場と先生方の向上心も原動力になっただろう。しかし、日本語教育機関の少ない地方では以前格差が残る。開発された教科書が普遍的な教科書になりモンゴル全国に普及することで、その格差は解消されるかもしれない。またこの教科書を契機として日本語学習ビリーフが変化し、日本語能力のみならず生徒自身の可能性を開くことを期待している。


2010年に国際交流基金が公開したコースデザイン、授業設計、評価を考えるための枠組み。ヨーロッパ共通言語参照枠(CEFR)の考え方に基づいて開発された。能力を課題遂行能力(can-do)で測るのが特徴である。(国際交流基金)

 

参考文献
片桐準二・スレン ドルゴル・ダワー オユンゲレル・ 中西令子・浮田久美子・牧久美子(2016)
「モンゴルにおける初中等教育機関向け 日本語教科書の開発 ―プロフィシェンシー重視と自律学習支援への取り組み―」『国際交流基金日本語教育紀要』12, pp. 57-72, 国際交流基金
国際交流基金 JF日本語教育スタンダード https://jfstandard.jp/top/ja/render.do(2019年7月1日閲覧)
国際交流基金(2016)モンゴル日本語教育 国・地域別情報
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2016/mongolia.html (2019年7月1日閲覧)
高嶋 幸太(2013)「モンゴル初中等教育機関での授業実践 : 現状調査を踏まえたチーム・ティーチングの試み」『日本語教育実践研究』 (1), pp. 63-74, 立教日本語教育実践学会
Burenchimeg Danzannyam , 馬場久志(2009)「モンゴルにおける日本語学習者の現状と課題」『埼玉大学紀要 教育学部』58(2), pp. 145-157, 埼玉大学教育学部
守山恵子(2001)「モンゴルの日本語教育事情」『長崎大学留学生センター紀要』9, pp. 97-105, 長崎大学




国際交流基金(2016)モンゴル日本語教育 国・地域別情報
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2016/mongolia.html (2019年7月1日閲覧)
小長谷有紀編(1997)『モンゴル』(暮らしがわかるアジア読本)河出書房新社
ミャグマル・アリウントヤー(2016)「モンゴル 高等教育改革と海外人材育成の提案」, 松塚ゆかり編著 『国際流動化時代の高等教育: 人と知のモビリティーを担う大学 』pp. 121-142 ミネルヴァ書房
宮前 奈央美(2011)「モンゴル人留学生への留学支援策--各国の奨学金政策と帰国留学生支援」『国際教育文化研究』11, pp. 69-80, 九州大学大学院人間環境学研究院国際教育文化研究会
モリス・ロッサビ(2007)『現代モンゴル:迷走するグローバリゼーション』 (明石ライブラリー112) 小林志歩訳, 明石書店 
外務省(2019)モンゴル基礎データ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mongolia/data.html
国際協力機構(2017)モンゴル ビジネス環境ガイド2017年版 
https://www.jica.go.jp/mongolia/office/activities/environment_guide/

 

 

©2014 Yoshimi OGAWA