Ⅲ 東南・南アジア

課題

 

1 タイ 
 14世紀のタイには、日本人町が形成されるなど、日タイ交流の歴史は古い。また、戦前、独立国であったタイは、1941年当時、150名を超える留学生を日本に送っていた。戦後は、1960年代に本格的な日本語教育が始まり、現在は、日本語を主専攻として学べる大学が40校以上にのぼるという。多民族国家タイの言語政策と日本語教育の展開についてまとめよ。


2 ベトナム 
 16世紀の国際貿易都市ホイアンには、日本人街が形成されるなど、日越交流の歴史は古い。戦後のベトナムは社会主義時代を経て、ドイモイ政策は、対外経済交流を活発化し、外国語教育に変化を及ぼした。日本語教育は、大学や高校、中学校のほか、一部の小学校でも導入されるようになった。また、多くの若者を日本へ送り出してきたドンズー日本語学校など民間機関の活動も顕著である。ベトナム人留学生は、2018年には来日留学生の24パーセントを占めている。社会主義時代を経てベトナムの日本語教育はどのように変遷してきたのかまとめよ。


3 漢越語 
 現在、ベトナム語では漢字そのものは使用されていないが、ベトナム語には漢字由来の語彙が7割を占めるとも言われ、漢語の影響を受けた漢越語の存在は見逃せない。このため、ベトナム語母語話者が日本語を学ぶ際、漢越語の知識に注目し、学習ストラテジーを考案、実践する試みが行われている。漢越語とその学習ストラテジーに関し、実践からどのような知見が得られているのかまとめよ。


4 マレーシア   
 太平洋戦争中に、南方特別留学生として日本で学んだ者の中には、戦後マラヤ大学学長をつとめたり、日本語教育のパイオニアとして活躍したりした者もいる。一方、日本の高度経済成長期に日系企業が海外に進出するにともない、日本語教育が活気を帯びるようになる。1981年には、マハティール首相(当時)の構想により東方政策(Look East Policy)が打ち出されると、日本留学・研修プログラムで多くの留学生が日本へ渡った。このとき、日本語教育は留学のための予備教育として実施された。多民族国家マレーシアでは、東方政策や外国語教育政策とともに日本語教育がどのような変遷をたどったのかまとめよ。


5 フィリピン 
 フィリピンは、国内で170以上の言語が話されている他言語国家である。フィリピノ語と英語のバイリンガル教育が行われており、母語以外に二つの言語を習得する必要があるため、中学校での外国語教育は実施されてこなかった。しかし、2009年には、試験的に高校生への外国語教育が実施されるようになり、日本語も教えられるようになった。1980年代以降、海外労働者送り出し政策のものと、成人への就労目的で行われていた日本語教育は、現在、看護・介護福祉士として来日する人々のための日本語教育も加わり、その目的は多様化している。フィリピンにおける日本語教育の変遷についてまとめよ。


6 インドネシア  
 日本の戦後処理の一つに戦争賠償協定の締結がある。日本は1958年、インドネシアとの間に賠償協定を締結すると、インドネシアから戦争賠償奨学生を受け入れた。また、コロンボ計画に参加した日本は、インドネシアに技術協力を行うとともに、日本語教師を送っている。一方、元日本留学生たちは、帰国後にその経験を母国に活かすために、大学を創設するなど、日本とインドネシアの懸け橋になった。このように、インドネシアの日本語教育は、日本からの技術協力の一環として始まったという側面とともに、どのような特徴があるのか、その変遷をまとめよ。


7 インドネシアの中等教育 
 中学校の段階で、英語に次ぐ第二外国語教育が実施されている国は多いが、インドネシアもその一つである。中等教育に日本語科目を導入するには、学習者数も多いことから、あらたな教員の養成や教材の作成など、多くの作業が必要となる。その一例として、インドネシアではそれらがどのように行われてきたのかまとめよ。


8 インド 
 インドではじめての日本語教育は、1905年にタゴール(アジア初のノーベル文学賞受賞者)が開設したものであったという。一方、戦後の日本とインドは、日系企業の進出、インド経済の大躍進など経済交流の機会は多いが、日本語学習者は、盛んなわけではない。インドの学校では、三つ以上の言語(地方の公用語,ヒンディー語、英語)学習が義務付けられているため、中等教育課程で外国語科目を取りいれる機関は多くないという。多言語国家インドの言語政策と日本語教育の変遷についてまとめよ。

©2014 Yoshimi OGAWA