明朝時代の日本語研究

――『日本館訳語』『日本一鑑』『日本風土記』から――

 

大政美南

 

1.はじめに

 中国における日本語教育が本格的に、また体系的に行われるようになったのは清代になってからである。しかし、その萌芽は明代に中国人によって編纂された『日本館訳語』『日本一鑑』『日本風土記』に見て取れる。これらの書が書かれた背景、またそれぞれの書に見られる日本語に関する記述の特徴をまとめる。

 

2.時代背景

 『日本館訳語』『日本一鑑』『日本風土記』が編纂されたのは15世紀後半から16世紀後半である。当時、日本は戦国時代であり、国内が不安定であった。一方、中国は明の時代であり、海禁政策をとっていた。中国では元の時代から倭寇など周辺国の海賊による襲撃に悩まされていた(佐久間 1992)。そこで、洪武帝は交渉のため日本に使者を二度送ったのだが、二度とも知識不足により失敗に終わった。洪武帝は外国に関する知識を得る必要性に気付いた。これが、対象国の言葉を知るという動機を明に与えるきっかけとなった(劉 2005)。

2.1 日明関係

 当時の貿易は朝貢貿易という形がとられた。そのため、海禁政策もあり、中央の役人が貿易、外交を取り仕切っていた(佐久間 1992)。日本側は各地の有力な領主が各々貿易を行っていた。劉(2005)によると、明の約300年の間に日本から19回使節が送られたとある。

2.2 日本語教育

 明代には外交に従事する二つの機関があった。四夷館(1407年~)と会同館(1469年~)の二つである。四夷館は翻訳及び、訳字官の養成を行う機関で、中国最初の日本語教育を行う機関と言える(劉 2005)。一方の会同館は通訳業務と、日本通事の養成を行った。会同館には4人の日本通事がいたとされ、会話中心の日本語学習を行っていた。

 

3.『日本館訳語』(1492~1549)

 外交機関である会同館の通事たちの共同成果である学習書である。通事が外国語の学習に使用した対訳辞書のようなものである。18の項目に分けられ、566語の単語、表現が収められている。劉(2005)は、中国における最初の学習書であると述べている。朝貢貿易の際に各国の文書を解読する必要から『華夷訳語』が作られた(渡邊 1960)。その中の日本語に関する書を『日本館訳語』という。

3.1 特徴

 例)霜 世莫/世木(シモ) 大路 倭吾亦那密祭/倭亦那密祭(オオイノミチ)

上記のように、中国語に対する日本語が音訳漢字で記されている。「も」を「木[mu]」で、「と」を「都[tu]」で表すなど、[u]と[o]の音韻対立がない当時の中国北方方言の影響が見られる。『日本館訳語』は何度か改訂が行われており、後に「も」を「莫[muo]」、「と」を「多[tuo]」で表すなど、日本語の発音に近づける努力が見られる(劉 2005)。渡邊(1960)によると、「天涼」を「ソラノスズシ」、「白蓮」を「シロイノハナ」とするなど、今日の中国人日本語学習者の陥りやすい誤りが見られるという。

 

4.『日本一鑑』(1566)

 鄭舜功によって書かれた地理、歴史、言語、文学、風俗、習慣など多方面に渡って記された書籍である。鄭は倭寇に対する交渉のため、日本に赴いたが、豊後国に2年抑留された(渡邊 1955)。その間に得た知識を集めたものが『日本一鑑』である。その中で、「完全に武力を押さえようとするには、文化を用いなければならない。兵力を乱用せず、倭字を識るべきである」と外国語を学ぶ重要性について述べている。日本語に関しては語数、発音の正確さから日本及び、日本語研究を代表する最高傑作と言われている(劉 2005)。『日本館訳語』と同じく18の項目に分けられ、3404語が収められている。

4.1 特徴

 例)天 梭刺(ソラ)/押邁(アマ)  忘 歪自路路(ワスルル)

『日本館訳語』との相違点を以下に述べる。まず、あてられている漢字が異なる。また、『日本館訳語』では対応する日本語は一つしか記されていないが、複数あげられている語もある。『日本館訳語』では語だけでなく、熟語、表現も見出し語となっているが、『日本一鑑』では語に分析されて見出し語になっている。渡邊(1955)では、「イ」「ヰ」を「イ」、「エ」「ヱ」を「エ」、「オ」「ヲ」を「ヲ」に統一しているため、誤用が見られると述べている。また、鄭が「ン」を知らなかったためか、すべて「ニ」となっている。

 

5.『日本風土記』(1592)

 候継高による『前浙兵制考』の付録として編纂されたのが、『日本風土記』である。歴史、国の在り方、政治、地理、言語など多方面に渡って詳細に記している。他の2冊が対訳辞書の形を採った単語集であるのに対して、単語集の他に和歌、俗謡の音訳と漢訳が収められている。『日本風土記』は独自の項目分類を行っている。また、収録されている語も独自の物が多い(大友・木村 1984)。54の項目に分けられた1100語が収められている。

5.1 特徴

  例)天 同音又所䫙天帝(テン/ソラ/テンテイ) 露乾 紫油氣也打(ツユキエタ)

一つの中国語に対応するいくつかの日本語が挙げられている。また、他の2冊に比べ、文法的に正しい(渡邊 1984)。『日本館訳語』に見られた学習者特有の誤りは見られない。『日本一鑑』は前述したように、見出し語は語に限られていたが、『日本風土記』では、語だけでなく、表現も見出し語として多く含まれている。表現によっては「ツユキエタ」「ヒルイヅル」のように時制が過去・非過去と異なるものがある。

 

6.まとめ

 これまで見てきたように、明代は日本語研究、日本語教育が始まった時代である。この時代に編纂された書籍を見ることで、語学教育が芽吹いて、発展していく様子を垣間見ることができる。また、明代に語学を学ぶ重要さが認識されたきっかけとして、貿易や交渉といったコミュニケーションの必要性に対する気づきがある。書籍の中に見られる誤用も今に通ずるものもあり、外国語学習における普遍性も読み取ることができる。

 

参考文献

大友信一・木村晟(1968)『日本館譯語 本文と索引』洛文社

                                    (1974)『日本一鑑 本文と索引』笠間書院

                                    (1984)『日本風土記 本文と索引』小林印刷出版部

木村晟・片山晴賢・渡曾正純・森山麟三・丁鋒(1996)『日本一鑑の總合的研究 本文篇』稜伽林

佐久間重男(1992)『日明関係史の研究』吉川弘文館

蒋垂東(1998)「ロンドン大学本『日本館訳語』にみる独自の用字法をめぐって」

                          『筑波日本語研究』3,筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科日本語学研究室

劉建雲(2005)『中国人の日本語学習史――清末の文学堂――』学術出版会

渡邊三男(1955)「明末の日本紹介書「日本一鑑」について」『駒澤大學研究紀要』13, 駒澤大学

    (1960)「華夷譯語および日本館譯語について」『駒澤大學研究紀要』18,駒澤大学 

 

©2014 Yoshimi OGAWA