韓国での日本学の変遷について

ー「韓国日本学会」を中心にー

梁 婷絢

1. はじめに
韓国は国際交流基金による「2012年度日本語教育機関調査 」で日本語学習者数が中国、インドネシアに次ぐ3位に下がるまで、長い間日本語学習者が最も多い国であった。この背景には、歴史的・地理的要因や国の政策等様々な要因が関わっているが、学問的な基盤を提供してきた学会の発展も重要な要因の一つであったといえる。本稿では韓国で最も古い日本学関連学会である「韓国日本学会」を中心に韓国での日本学や日本語教育がどのように変遷してきたのかを探ることを目的とする


2. 韓国における日本学の変遷‐「韓国日本学会」を中心に


2.1 「韓国日本学会」の設立と当時の状況(一次資料)
「韓国日本学会」は1973年2月1日に設立された。初代副会長である李榮九氏は「韓国日本学会の設立と初創期の状況」で当時の状況を次のように回顧している 。


学会設立に向けた動きが始まったのは71年からである。筆者が70年春東京大学に研究のため、初めて日本を訪れ、学会の状況を見てみたら、各分野における研究水準はとても高く、韓国に関する研究も質・量共に豊富であることに驚いた。日本のこのような韓国研究に比べて韓国の日本研究はほぼ皆無であったといっても過言ではなかった。 独立後の韓国は政治的にも社会的にも、また国民意識の面でも日本に対する拒否意識が根強く、この雰囲気は65年の国交正常化以降も続いていた。(中略) 新生韓国が独立国家として国家主義、民族主義を高揚し、古い価値の清算や新しい価値の創設のため、反日を方策として掲げたことは理解できるが、国民感情は日本に対する学問的な接近すら遮断していた。 1973年2月1日ソウル大学で「韓国日本学会」の創立総会が開かれた。その時、出席者は計20名程度で、(中略)大半が日本研究の専門家ではなかった。日本学会の誕生は当時の韓国の状況に大きな衝撃を与えた上、日本研究に対する画期的な転機を作った事に違いなかった。


2.2 時代による『日本学報』の変遷  「韓国日本学会」で発行している『日本学報』の時代別変遷を基に、韓国で日本学の研究がどのように変遷してきたのかを考察する。


2.2.1 1970年代
1970年代の『日本学報』は1973年8月の第1号から1979年2月の第7号まで1年に1回のペースで発行された。この時期の論文数は計54編で、資料を除くと計50編の論文が掲載されたことになる。学問分野別では語学が6編(12%)、文学が22編(44%)、日本学(日本文化、政治社会などの語学や文学に対する狭い意味の日本学)が22編(44%)であった。 語学が占める割合が低かった理由は学会創立初期、文学や日本学が専攻である会員が多かったためである。 また、1970年代から2000年代までの執筆者における外国人研究者(主に日本人)の構成を見てみると1970年代が29.6%で最も高いことが分かる。 これは韓国の大学や研究所を中心に日本関連研究が始まる時期に外国人研究者が国内の研究者の穴を埋める役割をしていたことを意味する。


2.2.2 1980年代
1980年代には1980~83年までは年1回、1984年からは年2回、『日本学報』が発行された。論文総数は224編で1冊あたり平均14編が掲載されている。数字から見ると1970年代(1冊あたり平均7.7編)に比べ、2倍くらい成長したことになる。このような成長の背景には、1961年韓国外国語大学に日本語学科が創設されて以来、全国の大学で日本関連学科が新設された結果として教授や研究者が徐々に増えたことがある。 計224編の内訳は文学90編(40.1%)、語学64編(28.6%)、日本学50編(22.3%)であった。この時期になると日本学の研究が減り、語学の研究が増えていく 。


2.2.3 1990年代 1990年代では『日本学報』が年2回のペースで発行された。論文総数は412編で、日本語学が180編(43.6%)、日本文学が122編(29.6%)、日本学が87編(21.1%)、その他が23編(5.5%)であった 。 1990年代の特徴は1990年代を基点として、日本関連研究者や研究論文が急激に増加したことにある。特に日本語学関連の論文が圧倒的に増えていった。これは日本学関連学科や研究者(語文学中心)の増加や教育環境の変化から起因する。1990年代韓国の多くの大学では日本人教授を採用し、実用的な日本語学や日本語教育を重視した。大学で要求する日本関連カリキュラムは日本の歴史や伝統、文化を教える科目より、実用主義に基づく外国語教育自体に重みをおき、実質的な需要者も語文学に集中している。 また、1990年代は日本/日本人に対する韓国社会の認識が変化していた時期でもある。過去の一方的な敵対感や負債意識から脱却し、学術的・論理的な対応や解決策を模索する方向に変化していった。これは1970年代末から1980年代初めにかけて韓国で日本関連学科や研究所が多く設立されたことや、1980年代に日本留学に行った多くの研究者が1990年代帰国し、韓国の大学の中に戻ってきたことも要因である。


2.2.4 2000年代
2000年代になると、2000年の2回を除いて、2001年から2009年まで毎年4回『日本学報』が発行され、計1200編の論文が発表された。また、「韓国日本学会」の傘下に日本語学会、日本文学会、日本語教育学会、日本歴史文化学会などができ、ネットワーク型の学会が始まる。 2000年代は量的に多くの論文が発表された時期で、その順位は日本語・教育学、日本文学、日本学である 。


3. 韓国での日本語(日本語教育)研究の変遷
韓国の独立後、1965年の日韓国交正常化までは排日思想により、日本語(日本語教育)に関する研究が事実上行なわれなかった。1965年日韓国交正常化以降は日本政府招聘の研究留学生が日本に留学し始め、私費留学も公式的に可能となり、日本語(日本語教育)研究のための基盤が出来始めたといえる。また、日本による教育を受けたことがない独立以降の世代が日本へ行って教育研究を行った時期でもある。 1970年代の初創期の研究には稀に日本語教育関連論文が存在するが、大半が韓国語との関連性を追及する通時的研究が占めている。 宋敏(1973、1974)がその例である。

宋敏(1973)「古代日本語における韓国語の影響」『日本学報』1
宋敏(1974)「最近の日本語の系統論について」『日本学報』2

1980年代には1984年を基点として研究論文数が増加する。この時期の日本語(日本語教育)研究は圧倒的に比較・対照研究や文法研究が多かった。 1994年を基点として日本語(日本語教育)研究は新しい局面を迎える。この時期を境に日本関連学会が分野別や地域別学会に拡散し始める。これは大学教員に対する研究業績評価制度の導入と評価方法が全ての大学に適用されるようになったことがその要因であると思われる。このような状況の中で日本語(日本語教育)関連研究論文は量的に増えていく。 2000年代に入っても研究論文は増え続ける。最近の研究でも文法研究が圧倒的な多数を占め、日本語(日本語教育)研究者の中で1/3以上が文法研究を行なっている。文法に続いては日本語史や日本語教育分野が高い割合を占めている。この三つの分野が全体の70%を占める 。特に注目すべきところは2007年以降日本語教育分野が量的な増加を見せていることである。最近の日本語教育分野では教育現場の実体調査や韓国人学習者の誤用分析、教材の活用、評価等の多様なテーマの論文が発表されている。


4. 終わりに
「韓国日本学会」を中心に韓国での日本学がどのように発祥・変遷してきたのかについて探ってみた。1970年代頃から本格的に始まった韓国における日本研究は80年代、90年代に2回の変換期を迎えながら急速に成長してきた。しかし、2000年代の後半から、日韓関係の悪化や中国の浮上等が、日本語学や日本語教育学に影響を及ぼしている。特に日本語教育学分野では、日本語学習者の多数を占めていた中等教育の学習者が教育政策や少子化の影響により減少していく状況で、これからの日本語教育について心配する声も多く聞こえてくるのが現状である。 もう一回の転換期を迎えているとも言える状況の中で、韓国での日本学が目指すべきことは研究の質を上げることで日本学の基盤をより一層固めていくことであると思われる。確かに、今までの韓国での日本学は日本語学習者や日本関連学会を基盤として成長をし続けてきた。しかし、それは質よりは量に焦点をあてた成長でもあったとも言える。これからは韓国全体の日本学や日本語教育の質を上げていくことで今の危機を乗り越えなければならないと思われる。


<参考文献> 
李榮九(1996)「韓国日本学会の設立と初創期の状況」『日本学報』 37、pp.471-478.
李庚民(2012)「韓国での日本語学研究‐現状と課題‐」『日本学報』91、pp.1-8.
李在聖(2012) 「1970年代初韓國社會における日本學會創立の意義とその特殊性に関する考察」『日本学報』93、pp.235-244.
韓国日本学会(2003)「韓国日本学会の創立30周年記念特別座談」『日本学報』 54、pp.557-567. 
金煥基(2012)「1990年代の韓国日本学会の活動と研究成果」『日本学報』91、pp.139-149.
徐禎完(2012}「1980年代の韓国日本学会の活動と研究成果」『日本学報』91、pp.125-137.
鄭明煥(1982)「韓国日本学会の10年の回顧とその展望」『日本学報』10、pp.297-308.
최건식(2012)「1970年代の韓国日本学会の活動と研究成果」『日本学報』91、pp.111-123.
김수희(2012)「2000年代の韓国日本学会の活動と研究成果」『日本学報』91、pp.151-163.


<一次資料>
1)「韓国日本学会」の設立当時の趣旨文
趣旨文
日本は遥かに遠い先祖の時から今日を生きる我々の世代に至るまで恩恵を被る存在というよりはやや苦く恐ろしい隣国として刻印されている。その日本を我々は研究する。 日本は今世紀前半期の帝国主義的ナショナリズムという当時の世界史的潮流の産物のせいだけにするにはあまりにも大きな過ちを我々に残してきた。その結果、受難を体験した我々に一切の日本的なものに対する否定的姿勢や親しく接し難い感情を抱かせてきたことは致し方のない結果であると思われる。 しかし、歴史は変化し、過去がそのまま再現されるわけでもなく、感情的拒否が未来を解決してくれるわけでもない。悲劇の前轍を踏まないためにも我々は日本をもっと知るべきである。 また、地球が狭くなった現在の国際社会の緊密化現象において政治現実だけではなく全ての文物制度や風習にいたるまで他国の影響は即刻的で深刻なものである。我々と一衣帯水の間にある日本の諸問題は国内外を問わず我々の問題とそのまま直決するといえる。そのため我々は日本を研究する。 過去において大陸で発祥した文化を我々が加工し、日本に伝えた。しかし、大体の沈殿文化がそのように日本は長時間においてこれを土着化させ、再形成したものが多い。東洋文化圏の一環の中で日本的文化に特有性があることを我々は率直に認める。このような日本文化との比較を通して我々の文化の再発見を試みることもその方法の一つになれると思われる。そのため我々は日本を研究する。 我々は排他的国粋主義者でもないし、日本文化の盲目的な輸入者でもない。感情的不信は止揚し、知性の考察でありのままの日本を虚心坦懐に研究するだけだ。 韓国文化は国際文化への貢献という前提の基で、今まで日本学の不毛の地であった韓国で我々の日本研究が良い成果を得て、日本認識の正しい手引きになることを期待しながら「韓国日本学会」を創立する。

1973年2月1日 発起人一同


2)「韓国日本学会」の設立に関する新聞記事(東亜日報の1973年2月3日5ページ)

「韓国日本語学会」発足‐役員選出し、事業計画立てる

日本研究が徐々に活気を帯びている。韓日両国の「不幸な過去」が国交正常化で一旦清算された今、地域研究の対象に日本研究がなかったということはわが民族の中に根強い対日不信感が未だに残っていることを明らかにしているともいえる。
 隣国日本に対する感情的拒否や不信が根強い反面、もう一方では盲目的な迎合や憧れが拡散している昨今の現実で正しい日本研究は最も難しい作業であると言える。
しかし、この難しい作業は国民の精神的健康のために必ず推進しなければならないことで、誰かが率先して開拓しなければならない時代的課題である。
日本との緊密な関係はわが生活の中で「日々日本を感じさせる」当時に「日本について感心を持つ」ように要求している。
 このような環境で感情的拒否や追従、不信や盲目的迎合から自らを解放させ、知的考察を通した客観的日本研究を目的とした「韓国日本学会」が誕生した。
「韓国日本学会」は一日ソウル大学校教授会館で創立総会を開き、日本学が不毛状態にある韓国が日本研究の新しい転機を迎えた。この日総会では丘秉朔教授(高大・日本文学)が初代会長に、鄭明煥教授(ソウル大・佛文学)と李榮九教授(群山教育大・日本文学)が副会長に選ばれた。
大学教授とジャーナリストにより発足された「韓国日本学会」はこれから研究誌の発行や学術発表等を通してこの分野の開拓を決意した。

©2014 Yoshimi OGAWA