『和文漢読法』の特徴とその評価

                                   孫園園

1.『和文漢読法』の背景

 1898年、清国の政治改革運動戊戌の変法が失敗の結果になった。梁啓超などの改革運動の前駆者たちは改革のモデルを求めるために日本に亡命した。末岡(1999)によると、「梁啓超は、特にその在日期間において『和文漢読法』を著したように、日本語の読み方を習得し、日本の翻訳書を媒介として西洋の知識を摂取した」。このように、なぜ日本を選んだかというと、日本語を媒介として、西洋学問を学ぶことができるからである。

 

2.『和文漢読法』の版本、内容と特徴

 『和文漢読法』は梁啓超(1873〜1929)が来日後、同郷の羅普の協力を得て編纂した日本語学習本である。梁啓超が『論学日本文之益』の中で、こんな内容がある:「日本語を学ぶのは1年ですむ。日本文を作るのは半年ですむ。日本文を学ぶのは数日で小成し、数月で大成する」、こんな考え方を元にしてできたのが『和文漢読法』である。つまり、『和文漢読法』は速成日本語学習本である。

2.1 『和文漢読法』の版本

 夏(1999)によると、『和文漢読法』は少なくても4種類の版本がある。

表1 『和文漢読法』の版本

初版 梁啓超『和文漢読法』、1900年刊行。未発見書。
再版  羅普 再版『和文漢読法』、刊行年未詳。未発見書。
三版 丁福保 第三版『和文漢読法』、1901年刊行。
四版 夢花廬氏増刊 『和文漢読法』、刊行年未詳。

・表1は夏(1999)と古田島(2008)の内容を元に筆者が作成したもの。

2.2 『和文漢読法』の内容

表2『和文漢読法』の内容

Ⅰ 総論  (第一節から第二節まで)
・日本語習得の骨法———語順の顛倒
・日本語の語順
Ⅱ 品詞論 (第三節から第十二節まで)
・品詞の分類
・品詞の識別(名詞、動詞、助動詞、副詞、形容詞など)
Ⅲ 仮名と中国語の対応 (第十三節から第三十七節まで)
助動詞(位置、語幹と活用語尾)
副詞(位置)
(代)名詞(代名詞と形式名詞、「とき」と「こと」の説明)
語助詞(位置)
脈絡詞(と、も、を、に、の、ば)
Ⅳ 漢字語、漢字仮名交じり語への対応(第三十八節から第四十二節まで)
・日中語彙対照表
・同訓漢字の通用
・漢字仮名交じりの熟語
・日本独自の漢字

・表2は夢花廬氏『和文漢読法』と古田島(2008)の内容を元に筆者が作成したもの。

2.3 『和文漢読法』の特徴

①「語順」を重視する

 凡学日本之法,其最浅而要之第一者,当知其文法与中国相颠倒。实字必在上,虚字必在下。如汉文「读书」,日文则云「書ヲ読ム」、汉文「游日本」,日文则云「日本ニ遊ブ」。其他句法,皆以此为例。

 日本語の語順と中国語の語順は逆である。日本語の実詞は最初に出てくる。虚詞は後ろにある。

②「品詞の識別」を重視する

 本の内容の割合から見れば分かるように、第三節から第十二節までの「品詞の分類、識別」に非常に力を入れている。また、「品詞の分類」の内容に関しては、中国語と比較ながら説明されたので、比較的わかりやすいと思われる。

③「文の区切り」を重視する

 「品詞の識別」は「(断句)文の区切り」のための基礎知識と思われたのか、「品詞の分類」の説明の後に「(断句)文の区切り」の要領の内容があった。「(断句)文の区切り」が出来たら日本語の意味が分かるという考え方を持っていると思う。

④「日中対照」を重視する

 最初の語順、品詞分類説明や漢字の対照と日本独自の漢字などの内容が『和文漢読法』の中で出ている。この本の目的は中国語を通じて日本語の学習に役に立つことであり、つまり非常に日中対照を重視している本である。

 

3.『和文漢読法』の評価

3.1 出版当時(1900年代)の評価

 

  梁啓超は自分のこの日本語学習本について、このように評価した。

  私は『和文漢読法』という本を編纂している、学習者はこれを読むと、少しの労力をも費やさずに、たくさんの日本語知識が得られる。これは偽りではない。私の友達は多く経験した。     ————————————「論学日本文之益」

と自信を持って言いながら、このように学問に対して、厳密ではないことも梁は自覚していた。

 その本は、わずか一昼夜で完成されたため、いい加減なところが多くて、その上、その時の私はまだ日本語の文法に通暁していなかったため、とりわけ誤りも少なくなかったと思う。

—————————————『新民叢報』

 

 そのほか、当時の中国の教育家蔡元培「三十六年前の南洋公学特班を記す」の中でこのように書いている。

 そのころ、学生の中で、英文を読める者は甚だ少なかった。学生達はみんな、日本語書かれた書物を読もうと思い、私は彼らに日本語を学ばなくても日本語が読める、つまり、徹底的ではない方法を彼らに教えた。そして何日も経たないうちに、皆日本文を読むことができるようになり、翻訳者する者も出てきた。

 

と彼は『和文漢読法』が徹底的ではない学習法と知りながら、自信満々に述べている。

3.2 1930年代の評価

  三十年代における『和文漢読法』についての評価として、周作人が書いた同名の随筆「和文漢読法」がある。周は次のように評価している。

   梁任公が『和文漢読法』を著したのは何年かはっきりしないが、いずれ庚子(1900)の頃だったろう。すでに三十年あまりにもなるのに、その影響は今なお絶大であって、一方で日本語の習得を奨励しながら、一方では誤解の種をまき日本語をひどく易しいものに思い込ませる、といった2つの事態が今まで続く。

 

3.3 現代の評価

 北京日本学研究センターの徐一平の「中国の日本語研究史初探」の中で以下のように評価している。

 この種の読書や新聞を読む等、ただその大意が分かることを目的とした「和文漢読法」は、短期的な問題の解決や、あるいは短時間内においての閲覧という目的を達成できる点では評価できると言えよう。ただしこの方法は、結局は本当に日本語を身につけたとは言えない。しかもたとえ理解したとしても会話での交流はできず、一種のしゃべらない日本語にすぎない。

 

4. まとめ

 『和文漢読法』は当時の中国人の日本語学習本として、貴重な研究資料だと思う。しかし、『和文漢読法』は良い本なのか悪い本なのか一言で評価することは難しく、当時の中国の歴史背景を考えながら、本の内容を分析したほうがより客観的な結果が出ると推測される。

 

参考文献

夏暁虹 (1999)「梁启超与《和文汉读法》」《东方文化》2号.

古田島洋介(2008)「明星大学梁啓超『和文漢読法』(盧本)簡注 : 復文を説いた日本語速習書」『明星大学研究紀要日本文化学部・言語文化学科 』16,明星大学

蔡元培(1997)『蔡元培全集』15,pp.203,浙江教育出版社

周作人(1972)「和文漢読法」『苦竹雑記』pp.257,実用書局

周作人(著)木山英雄(翻訳)(2002)『日本談義集』pp.208,平凡社

徐一平(2000)「中国的日本語研究史初探」『日本学刊』2,pp.141—153.

末岡宏(1999)「梁啓超と日本の中国哲学研究」、『梁啓超:西洋近代思想受容と明治日本』

李海(2010)「梁啓超の『和文漢読法』をめぐる日中批評史に関する一考察」多元文化  10,名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻

李長波編集(2010)『近代日本語教科書選集 第7巻』クロスカルチャー出版

梁啓超(1899)「論学日本文之益」『清議報』10------ (1902)『新民叢報』15, pp.94-95.

盧守助(2011)「日本亡命前における梁啓超の日本認識」『環日本海研究年報』(18),新潟大学大学院現代社会文化研究科環日本海研究室

 

©2014 Yoshimi OGAWA