Ⅰ 国内

課題

 

1 表記法
 日本語学習者が特に困難を感じるのは日本語の表記法である。表記法改革については、前島密が将軍徳川慶喜に「漢字廃止の儀」を建白して以来、ローマ字会や仮名文字会が結成され、議論が展開されてきた。戦後間もない時期にも、占領軍や日本人の間でローマ字化に関する提案が行われた。現行の表記法に落ち着くまで、どのような議論があったのか、まとめよ。


2 留学生の受け入れ:1950~60年代
 戦後の留学生の受け入れは、1952年のインドネシア政府派遣留学生を皮切りに、1954年に国費留学制度が発足、同年、コロンボプランに基づく研修生の受け入れも開始した。また、1960年には、戦争賠償の一環としてインドネシア賠償奨学生を受け入れている。1950年代から60年代にかけて実施された留学生受け入れ制度とはどのような背景から生まれたのか、留学生のための日本語教育はどのように行われていたのかについてまとめよ。


3 日本語の海外普及:1970年代
 1972年、国会で国際交流基金法が成立し、「日本語の海外普及」は以後、国際交流基金のもとで実施されるようになった。海外青年協力隊ほか、現在では多くの団体が海外の日本語教育機関に教師を派遣している。国際交流基金による「日本語の海外普及」の理念と事業内容についてまとめよ。


4 留学生の受け入れ:1980年代~
 中曽根内閣のもと、「21世紀への留学生政策に関する提言」が提出され、長期的、総合的留学生受け入れ政策が示された。いわゆる「留学生受け入れ10万人計画」である。この「10万人計画」の策定から達成にいたるまでどのような議論があったのか、一次資料も参照しながらまとめよ。


5 日本語教師養成
 「10万人計画」が打ち出されると、受け入れに必要な様々な施策が実施された。その一つが、日本語教師の養成であり、大学や大学院に日本語教員養成課程が設置された。それに先駆け、民間でも教師の養成が行われていた。1980年代は日本語教師という職業は手探りの中、養成講座には受講生が集まった。日本語教師や養成講座に関する紙面の動向、日本語教師に求められる資質に関する議論についてまとめよ。


6 「地域の日本語教育」
 1990年、「出入国管理及び難民認定法」が改正され、新たな在留資格「定住者」が創設された。それにより、家族同伴で仕事を求め来日する人々が急増、「地域の日本語教育」が活況を帯びるようになった。「多文化共生」という理念が謳われるようになったのもこのころである。80年代に来日したインドシナ難民や中国帰国者に対する日本語教育とともに、「地域の日本語教育」の展開についてまとめよ。


7 あらたな在留資格と日本語教育に関する国会審議
 2019年4月に、あらたな在留資格「特定技能」が創設された。それまで「地域の日本語教育」に関する政策に関しては、文化庁で審議されてきたが、この日本社会の在り方と関わるこの在留資格の創設については国会で審議され、その中で日本語教育に関する議論も行われるようになった。日本語教育に関する審議の内容について、国会会議録や文化庁の報告をもとにまとめよ。


8 宗教団体の日本語教育
 16世紀の戦国時代や幕末明治期において来日したキリスト教宣教師の中には、熱心に日本語を学び日本語研究の一里塚となるような成果を残し他人々がいた。一方、明治以降、ハワイや朝鮮、台湾など、日本人の移住地や日本の統治下にあった地域では、日本から仏教の各宗派やキリスト教も進出し、現在も布教を目的に来日する人々、また、日本から海外へ出向く人々がいる。海外で布教活動を行う日本の宗教団体のうち、天理教は戦前から台湾などを中心に布教活動を行ってきた。天理教が推進する言語学習についてまとめよ。

©2014 Yoshimi OGAWA