「宜蘭クレオール」について

―誕生の背景と現状をめぐって―

馮 穎

1.はじめに

 宜蘭クレオールとは、台湾の宜蘭県の一部地域において、日本語を上層言語、現地のアタヤル語(タイヤル語)を基層言語とする、日本語母語話者もアタヤル語母語話者も理解できない新しい言語である。本稿では、主に宜蘭クレオールの誕生背景と現状について紹介する。

 

2.誕生の背景

2.1台湾の統治権の取得

 1895年に朝鮮半島の支配権をめぐって争われた日本と清朝の間の戦争である日清戦争は、日本の勝利で終息し、下関条約を締結し終了した。清朝は朝鮮が独立国であることを認め、宗主権を放棄した。また、台湾と澎湖諸島を日本に割譲した。それから、台湾は日本による統治が開始された。

2.2日本統治下の宜蘭地域の原住民たち

 1910年代、日本の植民地当局は山の中に散在している原住民族を支配しやすくするために、集団移住政策をとりはじめた。宜蘭地域においても原住民族集団移住政策が推進された(真田2013)。また、日本語を「国語」として推進されたため、原住民族の人たちは設置された「教育所」で日本語教育を受けていた。

宜蘭地域にいる原住民たちが使っているアタヤル語とセデック語は、同じアタヤル語群には属するが、互いにほとんど通じ合わなかった。しかし、その原住民たちが一つのコミュニティに押し込まれた。

 

3.形成

 同じコミュニティではアタヤル人とセデック人は互いに意思の疎通が図れるために、教育所で習った日本語を使用し、互いのリンガフランカ(共通言語)として使い始めた。その過程でピジン日本語が形成され、1930年代からその言語を母語として習得した次の世代において宜蘭クレオールへと発展した。

 また、洪(2010)はこの地域は人口も少ないし、みんなと意思疎通のために、日本語を受け入れるしかできず、ひいては自分の母語を捨てると述べた。

 

4.使用状況

 1930~1940年代に生まれの人たちは、宜蘭クレオールを使っている。つまり、この世代から、宜蘭クレオールを母語として使用されている。彼らはアタヤル語・セデック語を理解はできるが、ほとんどしゃべれない。また、日本語教育で、学校で習う日本語という形で日本語も理解できる。

1940年代に日本が台湾から撤退し、中国語(北京語)が台湾の国語になる。従って、この世代の人たちは、中国語は聞いて理解できるが、ほとんど宜蘭クレオールだけで育っている。

 1950年代以降、70年代までの人たちは家の中では宜蘭クレオールを使い、外では国語としての中国語を使う。

 1980年代以降の人たちは、国語の影響で宜蘭クレオールを理解はできるが、ほとんどしゃべれないというような状況になっているようだ。

 

5.宜蘭クレオールの言語的特徴

5.1言語構成

 現在の宜蘭クレオールは日本語を中心にさまざまな言語が混在している言語である。日本語起源、日本語に由来する語が65%を占めている。アタヤル語に由来する語は25%、あとは台湾国語の中国語(北京語)やビンナン語(中国の福建省からの言語)起源の語が10%ぐらいである。 

5.2語順

①SOVを基本語順としている。

 wasi gohang tabeta. (私はご飯を食べた。)             (真田2015)

②SVOの語順があります。基本的な他動詞文(単文)ではSOVが厳守されるが、特に若年層において、基本的他動詞ではない場合、SVOも許容される。なお、複文の場合にはSVOが各世代ともに多用される(真田・簡2012)。

 wasi suki tapuysuru no. (私は料理することが好きだ)

   anta wakaru are icu ngasal kuru no. (あなたは彼がいつ家に来るか分かる?)

 (真田・簡2012)

③VOSの語順もある。アタヤル語の語順である。ただ、非常に数は少ない。

  taberu mo gohang anta?(あなた、もうご飯食べた?)(真田2013)

5.3文法

 日本の統治時期で台湾に来た日本人は九州の人たちが圧倒的に多かったため、西日本の日本語表現「oru(いる)」、「-tekang(~してはいけない)」、否定辞が「-ng」という表現がみられる。

aci utox ninggen oru.(あっち 一人 人間 おる。「あそこに人がいる。」)

ano la’i tabetoru.(あの 子 食べとる。「あの子が食べている」)

tangkitekang.(短気てかん。「怒ってはいけない」)   (渋谷・簡2012)

 

6.宜蘭クレオールの現状

6.1使用地域と使用者数

 宜蘭県には、大同郷と南澳郷という2つの郷がある。大同郷の寒渓村、それから南澳郷の東岳村、澳花村、金洋村の合計四つの村で宜蘭クレオールが使われている(真田2013)。

ウィキペディアによると(1)、宜蘭クレオールの話者数については正確な統計がない。しかし、4村の人口は2018年12月現在、合計3285人であるが、村内部にも宜蘭クレオールを使用しない地区があること(例えば金洋村の金洋路)や宜蘭クレオールを話せない若年層がいることなどを考えると、宜蘭クレオールの話者数は多くても3000人以下であると推定される。

6.2宜蘭クレオールに関する台湾情報

 台湾では、2001年から原住民一般を対象とし、原住民族言語を保護する目的とする原住民族言語を指導する教師として認定する「族語教師認定試験」が実施されるようになった。しかし、宜蘭クレオールは実施されなかった。

2006年に台湾行政院の原住民族委員会が宜蘭クレオールをアタヤル語(泰雅語)の一方言として、「寒渓アタヤル語」と命名しました。それが、学生を対象に行われる「族語母語能力証明試験」に加えられることになった。宜蘭クレオールの話者たちの努力で宜蘭クレオールが重視されてきた。また、同年に「国民中小学九年一貫課程原住民族語学習手冊 寒渓泰雅語学習手冊第一,第二第三階」が作成されたそうだ。

2007年に「族語母語能力証明試験」が実施されているが、「族語教師認定試験」は実施されていない。それは宜蘭クレオールをアタヤル語の族語として認められていないからだ。

2009年7月22日に寒溪アタヤル語(つまり宜蘭クレオール)の位置づけに関する原住民族委員会での会議が開催され、そこでの検討の結果2011年度からは「寒溪アタヤル語」が検定試験の対象から排除されることが決定された。宜蘭クレオールの話者たちの言語権が無視されることになった。 

近年、宜蘭クレオールに関する動画や報道などは増えていき、台湾の人に知られている。また、宜蘭クレオールでオリジナル曲を作成した人がおり、宜蘭クレオールの話者たちは頑張って自分の母語を守っている。

6.3今後の展望

 宜蘭クレオールはごく少人数で使用されているため、重要視されるのは難しい。また、若い世代の多くは祖父母や両親と宜蘭クレオールでしゃべっているが、外でリンガフランカとして国語の中国語を多く用いている。従って、当地の政策や話者たちの協力で、現地の歴史や言語文化の真実の記録を作ることと、宜蘭クレオールの母語話者はその言語を継承する意識を呼び起こすことは、重要かつ緊急の課題である。

 

7.感想

 宜蘭クレオールは珍しく、非常に重要な財産だ。宜蘭当地の人たちは、アタヤル語かセデック語を母語とした人たちは、日本語を「国語」として日本語を受け入れさせられたが、何十年を経って、中国語を受け入れさせられてきたのはかわいそうだと思う。それに、あまり重視されていない。でも、国の政策や政府の措置から自分の言葉を保護してもらい、継承してもらうように考えるより、宜蘭クレオールの話者たちは自らから自分の言語を守っていくほうがよりよいと考える。

 一方、言語というのは、政治や戦争の影響を受け、変化しつつあると思う。従って、時代が進んでいくにつれて、その言語はどのように変化していくのか予測できないが、それこそは楽しみではないかと思う。

 

引用

(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9C%E8%98%AD%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB 

参考文献

・安部清哉・土田滋・新居田純野(2008)「アタヤル語(泰雅語)の寒渓方言に入った日本語:台湾原住民言語能力試験問題における」学習院大学東洋文化研究所 東洋文化研究10号

・今村圭介・ダニエル・ロング(2021)『アジア・太平洋における日本語の過去と現在』.ひつじ書房.

・洪惟仁(2010)「宜蘭地區的語言分佈與語言地盤的變遷」『台灣原住民族研究季刊』第3卷第3期p1−42 (2010/秋季號)

・「海を渡った日本語」(2013)『人間文化』Vol.20人間文化機構

・渋谷勝己・簡月真(2013)『旅するニホンゴ-異言語との出会いが変えたもの』.岩波書店.

・真田信治・簡月真(2012)「宜蘭クレオール」『国語研プロジェクトレビュー』3−1p38−48

・真田信治(2015)「日本語系クレオール語の形成プロセス」『社会言語科学』第17巻第2号p3−11

関連動画:

①https://youtu.be/xNd7d951NGo

②https://youtu.be/Ndmrifw1Hy8