中国・日本における対外言語普及政策の発展と変遷

                                   張格格・劉欣然

1、はじめに

 パブリック・ディプロマシーの意味には、外国市民と、メデイア、文化、教育、市民交流などを通じて接触し、彼らの考え方に働きかけ、ひいては政府の考え方に働きかけを行うという側面がある。このような働きかけにより、外国との複雑多様な関係をマネージする一助するという側面が重要と感じている。対外言語教育はパブリック・ディプロマシーの一環として、グローバル化社会の中で重要な役割を果たしている。ここでは、歴史的・社会的角度から日中両国の対外言語普及政策の発展と変遷を見ていく。

 

2、中国の対外言語普及政策

2、1教育の対外開放政策の発展「留学生政策から対外中国語教育政策へ 」

 1992年の計画経済から市場経済への移行宣言を踏まえ、中国共産党中央・国務院(内閣)は1993年に「中国の教育の改革および発展についての要綱」を発表し、教育の対外開放が明示され、中国人の海外留学および帰国の奨励が中心であった。

 2004年に教育部が公表した「2003-2007年 教育振興行動計画」では、教育の対外開放の拡大が重点施策の 1つとして明確に示され、(1)積極的に海外の教育資源を取り入れる、(2)留学生の派遣と受入れ政策を強化・拡大する、(3)対外中国語教育を大いに推し進め、国際的な教育サービス市場を開拓する、という3つの目標が掲げられた。ここにおいて、2003年に5ヵ年の中国語普及促進プロジェクトである「漢語橋プロジェクト」の実施が国の対外言語政策として提示されることになった。

 2007年5月に国務院が公表した2010年までの国の教育政策の方針を示した「教育事業第11次5ヵ年計画」においても、引き続き教育の対外開放が一層重視され、「中国人の海外留学と外国人留学生の規模拡大」「中外共同による学校設置の推進」「中国語の国際普及活動の強化」といった方針が示された。このように、教育の対外開放政策は当初中国人の海外留学が主眼だったが、対外開放が進むにつれ、外国人を対象とした中国語普及事業が重点施策として位置づけられるようになったのである。

 漢語橋プロジェクトは、「世界に中国語を広め、中国文化を高揚させ、世界における中国に対する理解と友好を深め、世界の平和と発展を促進する」ことを目的として、2003年に「国家対外中国語教育指導チーム事務室」が作成したものである。プロジェクトの実施強化に向け、国家対外中国語教育指導チームは2006年に「国家中国語国際普及指導チーム」と名称を改め、国務委員がチームの指揮を執り、メンバーも増員された。(日暮 2008)

2、2対外言語教育政策の具体的取組「孔子学院の設置とその普及」

(1)時代背景

 2001年のWTO正式加盟を背景として教育分野におけるグローバル化が加速し、中国と外国の教育交流や教育協力を促進する施策が打ち出されている。こうした教育分野での交流や協が活発に展開される中、世界経済での中国の躍進を背景として、外国人の中国語学習に対する関心が高まっている。

 中国国務院は世界で2500万人存在するとされる中国語学習者を一億人まで増やす国家戦略「漢語橋工程」を2004年に策定し、これを推進する組織として「国家対外漢語教学領導小組弁公室(漢弁)」を設置した。漢弁の下、実際に海外での中国語普及を担うのが「孔子学院」である。(金子 2007:81)

 

(2)孔子学院の概要

概念:海外で中国語を学びたい人に向けた非政府組織。

目的:所在国の状況や教学方法に即して、中国語を教育し、普及すること。

業務:マルチメディアとウェブサイトを活用した中国語教育、中国語教師に対する教師研修、中国語能力検定試験及び中国語教授能力認定試験の実施、中国国内の大学が単位として認定する中国語教育コースの設置、中国語教育の指導要領・教育計画の作成への協力、中国語教材の共同開発、中国語コンテストの実施、各種目的別中国語コースの開設など。

 

(3)設置状況 

 孔子学院は各国の大学や教育機関と連携する方式で、2004年11月韓国ソウルでの開校を皮切りに、2005年2月にスウェーデン、2005年3月にアメリカのメリーランド州、4月にパキスタン、6月にフランス、7月にはウズベキスタン、イタリア、シンガポールと次々に開校されている。日本においては、2005年6月28日、日本初の孔子学院日本校が立命館大学に開設された。2005年11月には、桜美林大学にて日本で2番目の孔子学院の設立の調印式が行われ、2006年2月には北陸大学、4月に愛知大学にそれぞれ孔子学院が設立された。(日暮 2008)

 

3、日本の対外言語普及政策

3、1「日本語普及」の源流

 日本政府およびその関連機関の中で、海外に対する「日本語の普及 」を担っているのは、外務省と独立行政法人国際交流基金である。近代日本の「日本語普及事業」は19世紀末までさかのぼることができる。あの時代では日本が実質的に支配していた地域に対する「日本語普及」であった。(嶋津拓2008)

3、2三十年代の日本語普及

A.財団法人国際文化振興会

1、設立時間:1934年

2、設立背景:

①1920年代から1930年代にかけて、ヨーロッパの国々が自国文化や自国語を海外に普及するための国立機関を相次いで設立していた。

②1933年日本は国際連盟を脱退した。国際連盟脱退に伴う国際的な孤立を避けるとともに、他国に伍して、「自国文化の品位価値を発揮し、他国民をして尊敬と共に親愛同情の念を催さしむる」(国際文化振興会 1934)ために、「国際文化事業」を開始した。

③海外における日本語研究熱が高まった。

3、設立目的:国際間文化の交換殊に日本及東方文化の海外宣揚を図り世界文化の進展及人類福祉の増進に貢献する。(「文化の国際的進運に資し、特に我国及び東方文化の顕揚に力を致さんことを期す」)(国際文化振興会 1934)

4、日本語海外普及事業

実施事業:講座の設置、講師の派遣及び交換などの事業を実施することになった。この事業には、外国の学校に日本語講座の設置を図り若くは日本語学校の設置を図ることという事業も含まれていた。

 

B.外務省には1935年に国際文化事業の担当課として、文化事業部第三課が設置され、同課は諸外国主要大学などにおける日本文化講座及び日本語教授機関の設置などの業務を所掌することになった。

 

 1930年代の後半に日本語海外普及の仕事を本格化するのであるが、その仕事の方法や手段は様々だった。例えば、オーストラリアの中等教育機関や高等教育機関に対しては日本語教材の寄贈や日本語教師斡旋などの方法がある。

 「国際文化事業」としての「日本語普及」は言語を意思疎通の手段と捉える立場からの日本語海外普及ではなく、日本語の学習そのものを日本の「国民性」や「国民精神」を理解するため、さらには獲得するための活動である。(嶋津拓 2010)

3、3戦後の日本語普及

A.外務省

1、背景:コロンボ計画に日本も1954年に援助国として加盟した。

2、実施事業:

①1964年からは現在の青年海外協力隊の前身である「青年技術者派遣計画」によって、若手の日本語教師がアジア地域に派遣されるようになった。

②1965年に、東南アジア及び南西アジアの高等教育機関に対する日本研究講座寄贈事業を開始した。

③1964年に、在外公館による日本語講座の開設運営事業を開始し、日本から日本語教育専門家を在外公館に派遣し、海外で直接的に日本語教育を実施した。

 この外務省による「日本語普及」の事業対象地域が主として通商や貿易の面で日本と密接な関係にある国や地域であったことからも明らかなとおり、日本企業の海外進出を円滑に進める上での対日理解の促進が重視されていた。(嶋津拓 2010)

 

B.国際交流基金

1、設立時間:1972年

2、背景:

①海外における日本語、日本事情などの学習熱が高まり、対外教育文化活動をさらに拡大整備する必要がある。

②70年代初期、アメリカとの間に経済関係をめぐって激しい対立が起こった。1971年の二つのニクソンショックが、日米間の相互理解の不足を深刻な課題として浮上させる。日本は数々の国際危機に直面する。

3、目的:「我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進するとともに、国際友好活動を促進する」

4、「日本語普及」事業における基本方針が「現地主導」主義

①日本が海外諸国に日本語教育を押し付けるのではなく、日本語普及事業を実施する前提として、各国の主導性を尊重するという考え方である。

②日本語を教える先生もその国の先生が中心になることを目指す。またカリキュラムや教材についても各国がそれぞれの地域に応じた、それぞれの学習者のニーズに応じたものを作っていくことを目指す。

5、実施事業:

①1980年には北京に「日本語研修センター」を設置し、中国の主として高等教育機関に所属する日本語教師を対象とした研修事業を開始した。

②渡日前日本語予備教育を担当した。中国の吉林師範大学に設置した日本語講座や1982年にインドネシア政府が開設した日本語講座にも日本語教育専門家を派遣した。

③1980年代の中頃からは、海外の初等中等教育レベルの日本語教育への関与を拡大していった。その一環として、1985年には外国政府の教育行政機関に対する日本語教育アドバイザーの派遣事業も開始している。

④1989年に埼玉県に日本語国際センターを設立した。海外からの日本語教師と海外派遣日本人の日本語研修などを業務にする。(『朝日新聞』 1987)

⑤1991年から中等教育レベルを中心に、該当国の日本語教育に対する総合的な支援を実施するための海外日本語センターを外国の主要都市に解開設するようになった。

⑥1997年には、専門日本語研修、海外の大学・日本研究機関などで日本語を学ぶ人々を支援する日本語学習奨励研修を実施するため、大阪府に関西国際センターを設置した。

4、日本語海外普及の現状

4、1日本語学習者の急増

 1970年代の後半以降、海外では日本語学習人口が急激に拡大した。海外の日本語学習者数は、1970年から1990年までの20年間に17倍以上に増加している。1990年代から2000年代にかけての時期にも日本語学習人口は拡大している。1990年には981,407人だったのが、2006年には2,979,820人と約3倍に増加している。 

   日本語教育の世界的な広がりは急速に進んでいて、支援型事業形態から推進型事業形態への方向転換が起こった。外務省や国際交流基金以外の政府機関・政府関連機関も日本語の普及という営みに対して積極的な態度を示すようになった。

 

4、2日本語普及事業

①国際交流基金は二十一世紀に入ると、相互理解のための日本語という考え方を提示するようになった。これに基づいて、「JF日本語教育スタンダード」の開発に着手した。

②2005年5月に経済財政諮問会議はODAなどによる日本語教育事業などの拡充により、「海外における日本語学習者数を三百万人程度に増加させる」ことと「長期的には五百万人程度を目指すこと」を目標として掲げた。

③2007年2月に、海外経済協力会議は海外の日本語教育拠点を整備拡充するとともに、日本語教育に係る関係機関の連携強化を図るとした。この方針を受けて、国際交流基金は2008年に「JFにほんごネットワーク」の構築に着手した。外務省も同ネットワークを財政的に支援しており、今後3年間に海外拠点の数を約100カ所に増やしたい考えを持っていた。

 いずれも中国政府の孔子学院を通じた中国語普及事業の急激な世界展開に対する日本政府筋の対抗意識がその基盤にあることを認めている。

 

5、おわりに

 戦後、世界において日本語学習者の増加と世界情勢の変化の中、日本は自国の価値観や文化などのソフトパワーを通してパブリック・ディプロマシーの実践を行った。その中、海外における日本語教育に対して、援助及び各種の協力を行っており、日本語普及事業が成長・発展してきた。日本語普及政策は基本的に日本に対する諸外国の理解を深めることを最重要課題としている。日本語普及事業は、今後、積極的に国際相互理解を促進させる役割を担い、国際文化交流を貢献することが期待されている。

 海外での中国語普及推進活動の強化は、中国の文化的影響力を増強し、ソフト・パワー(軟実力)を高めるという機能がある。このように、海外での中国語普及促進活動、すなわち孔子学院の設置は、中国を「世界に説明する」とする政府の対外戦略上にしっかりと位置づけられており、それゆえに政府も力を入れて取り組むべきだと思われる。

 グローバル化社会背景の下で、ソフト・パワーの競争も激しく起こっている。対外言語の普及は国の文化宣伝の重要な一部分である。日本と中国は対外言語の普及を重視している。対外言語政策には異なる部分があれば、似ている部分もある。日中両国とも言語教育を重視し、言語学校や言語学習機関を設立した。言語教育のほか、文化交流も重く捉えており、文化交流活動に力を入れている。一方、日本は対外言語の普及を推進するだけでなく、国語教育も重視しているのに対して、中国は国内の言語教育に入れる力が足りない傾向が見られる。そして、日本の言語普及機関は各責任を分けて、全般的な組織管理を行っている。日本より、中国の管理機構の効率性は低く見える。また、中国より日本は比較的全面化している情報交流ネットがあり、宣伝や普及をしやすいという点に日本と中国の差異が観察される。

 

参考文献

金子将史・北野充(2007)『パブリック・ディプロマシー:「世論の時代」の外交戦略』

                                                         pp75-84,169-174,183-203,233-261,PHP研究所。

黒田千春(2006)「グローバル化時代における中国の対外教育戦略」留学生教育(11)pp1-10

日暮トモ子(2008)「中国の対外言語教育政策:現状と課題」,比較教育学研究(37)

嶋津拓(2008)「国際文化交流事業としての「日本語の普及」:その変遷と現状」,

                                   比較教育学研究(37)。

   (2010)『言語政策として「日本語の普及」はどうあったか:国際文化交流の周縁』,

                                   ひつじ書房。

侯佳奕(2011)「日本における孔子学院から見た中国の対外言語教育政策:言語普及機関の存在意義

                            への再考」

河路由佳(2011)『日本語教育と戦争:「国際文化事業」の理想と変容』,新曜社。

渡辺靖(2011)『文化と外交』pp4-28,pp162-193,中公新書。

   (2015)『<文化>を捉え直す:カルチュラル・セキュリティの発想』pp84-117,岩波書店

富谷玲子・彭国勇・堤正典(2014)『グローバリズムに伴う社会変容と言語政策』pp25-40,

                                                                          星共社

web資料

『国家対外漢語教学領導小組弁公室』公開网站<http://www.hanban.edu.cn/Default.aspx> 

孔子学院総部ホームページ<http://www.hanban.edu.cn>

崔希亮「携手海内外共握新世紀对外漢語教育机遇」『中国新聞网』、2004 年 12 月 24 日。 

<http://www.chinanews.com.cn/news/2004/2004-12-24/26/520610.shtml> 

外務省ホームページ<http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/culture/gaiko.html>

人民網日本版<http://j.people.com.cn/2004/11/16/jp20041116_45221.html>

国際交流基金<http://www.jpf.go.jp/j/about/outline/about_05.html>

「陳至立加強漢語国際推広是提高軟実力迫切要求」新華網、2006年7月5日

<http://news.xinhuanet.com/overseas/2006-07/05/content_4797706.ntm>

中華人民共和国教育部<http://www.moe.gov.cn>

 

 

 

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