台湾における日本語クレオール-先住民族の権利回復の歩みのなかで-


林 康弘


1 はじめに
台湾における先住民族(以下、原住民とする)は、のちに中国から移り住んだ漢人である本省人や外省人、またその間の日本人による統治時代も含め、長きにわたり同化や迫害を受け続けてきた歴史をもつ。近年、この原住民のなかに、日本語と原住民の言語接触により誕生したとみられる「日本語クレオール」の存在が明らかになった。
   本稿では、この日本語クレオールを取り上げ、日本の台湾統治政策と関連付け、新たな言語形成の経緯及び言語の特徴等を明らかにする。また、国際社会や台湾国内において総じて先住民族の権利回復の歩みが着実な一方で、日本語クレオール社会では高齢化や中国語(北京語)の浸透が確実に進行し、言語の伝承が危ぶまれる。この先も彼らが先住民族としてのアイデンティティと誇りを保持し、台湾における一先住民族として独自な文化・言語等を伝承・振興していくための課題を探りたい。

 

2 台湾の原住民
台湾には日本の九州とほぼ同じ面積(約36,000㎢)に、オーストロネシア系の多様な文化・言語を有す
る原住民が先住していた。17世紀以後、中国本土から漢民族(閩南人・客家人)が移住をはじめ、台湾における多数民族となった。漢民族は、原住民を「熟番」・「生番」等と称したが、1895年以後の日本統治時代も基本的に「蕃人」と差別的に呼び慣わし、日本語を「国語」として強制する同化政策をとった。
1945年日本帝国から解放されたものの、中国内戦後に国民党軍とともに本省人が中国本土から移り1949年以後戒厳令下で台湾を統治した。国民党政府の先住民に対する対応は日本統治時代とほぼ同様で、先住民を「高山族」・「山地同胞」等と呼ぶとともに、学校や公共の場所での先住民の言語の使用を禁止し、中国語(北京語)を「国語」とし、同化施策をとってきた。

 

3 日本語クレオールの「発見」
クレオールcreoleとは、言語接触により誕生した接触言語で、異なる言語話者の間で用いられるピジンpidginが、母語話者をもつようになった言語である(「日本語教育辞典」2012)。台湾におけるクレオールに関しては、「日本語とアタヤル語との接触によって生まれた日本語クレオールが宜蘭県の大同郷と南澳郷に住む一部のアタヤル人関係者の間では広く認識されていた」との言説があった(1)。
2001年以後、真田信治(大阪大学)は、台湾での残存日本語調査を行ってきたが、2005年6月以後、簡月真(東華大学)の参加を得て現地調査を行ったところ、宜蘭県の一部のアタヤル族の使用する言語が、日本語クレオールであることを突きとめた。2007年5月、日本語学会春期学会にて真田・簡は、「台湾アタヤル族における日本語クレオールについて」を発表した(2)。

 

4 宜蘭クレオールの形成と言語的特徴
日本語クレオールは、台湾東部の宜蘭県大同郷寒渓村、南澳郷東岳村・金洋村・澳花村の4村を中心に分布する。この日本語クレオールは地域の名称をとって、「宜蘭クレオール」(真田 2019)と称された。
宜蘭クレオールが誕生した理由としては、日本の統治時代、山岳地に居住する原住民族の強制的な移住政策がとられ、異なる民族であっても一か所に集住させたことから、異なる民族間のリンガフランカlingua franca(共通語)として日本語が使用されたことに端を発する(真田2009)。宜蘭県では、1910年代より移住政策が始まり、アタヤル語及びセデック語を母語とする話者との混住状況がおき、優勢語のアタヤル語と日本語との接触により、宜蘭クレオールが誕生したのである。
宜蘭クレオールに関する最近の研究成果(真田2019)によれば、台湾の研究者たちも同様にクレオール言語と認定しているとのことであるが、その言語的特徴は次のようにまとめられる。
語彙に関しては、日本語及びアタヤル語が主で、それに中国語(閩南語、北京語)が取り入れられる。語彙の起源になっている言語の内訳は、日本語(約65%)、アタヤル語(約25%)、北京語・閩南語(約10%)である。また、語順については、日本語と同様にSVOが多いが、会話のなかではアタヤル語と同じVSOの語順もみられる。名詞の語形の特徴でいえば、格標示はゼロ格が多く、語順によって文法格が示され、孤立語的な型傾向がみられる場合もある。

 

5 先住民族の権利回復に向けた歩み
1980年代以後、国際連合では先住民族がもっとも不利な立場に置かれているグループであるとの認識のもと、「世界の先住民族の国際の10年」(1995-2004)、「第2次 世界の先住民族の国際の10年」(2005-2014)を設けて、先住民族の権利回復に取組んできた。2007年には、「先住民族の権利に関する宣言」を採択し、民族としての自己決定権等を定めた(3)。
    こうした国際社会の動向と軌を一にして、台湾では先住民としての権利回復を求める動きがおきた。1980年代以後、台湾民主化の流れに合流しながら「山胞(山地同胞)」の呼称の変更を政府に迫った。その結果、1994年、憲法改正条項の施行により、原住民という名称を勝ち取った。1996年には、行政院に原住民族委員会が設置され、原住民行政にあたることになった。
   政府の言語政策に関しては、原住民の子弟にたいする入試での優遇措置の一環として、2001年より「原住民族語言能力認証考試」が実施され、2007年からは、中学生・高校生を対象に「原住民学生升学優待取得文化及語言能力証明考試」が始まり、これら検定試験合格者は高校や大学への入試の成績が最大35%まで優遇されることになった。
宜蘭クレオールに関していえば、当初検定試験の対象言語としては認められなかったが、大同郷寒渓村の人々が言語権を主張した結果、2006年、アタヤル語(泰雅語)の方言として「寒渓泰雅語」という名目によ 
り、「原住民族語言能力認証考試」に加えられた(4)。
2017年6月、「原住民族語言(先住民族言語発展法案)発展法」が施行され、国の定める16の先住民が使用する言語が「国家的語言(国の言語)」とされ言語権の認定を得た。また、戦後「国語」だった中国語(北京語)以外のすべての台湾諸族の言語・文化の伝承復興に門戸を開いた。2018年12月、台湾の言語文化の多様性の尊重を基本理念とする「国家語言発展法」が制定され、先住民に対する権利回復の施策は、各集団の多元的な要求のなかに包摂されて、実施されることになった。

 

6 宜蘭クレオールの伝承・振興の課題
台湾では、2005年以後毎年8月1日を「原住民の日」と定めている(1994年8月1日に憲法改正
条項が公布され、先住民族の呼称を原住民としたことに因む)。台湾の現政権(蔡英文総統)は、前掲法案等の施行を通じて、原住民の地位向上に努めようとしているようにみえる。
しかし、宜蘭クレオールに関しては、政府・自治体が認定する先住民の固有言語との扱いではない。こうした
 台湾当局の言語政策とあいまって、3,000人ともいわれる(真田2009)母語話者の高齢化や中国語の浸透等に適切に対応し、母語としての保護喫緊の課題である。前述の国家言語発展法は、伝承の危機にある国家の言語に対する優先的な対策として、調査体制とデータベースの構築等を定める。宜蘭クレオールにも同法を適用し、一原住民としての言語の伝承・振興が図られねばならない。これは、「先住民族の権利に関する宣言」に     
照らしても、政府としてとるべき当然の措置であろう。
日本語のように聞こえても、日本語とは異なる独特の言語を用いつつ、クレオールの人々は「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(ポール・ゴーギャン)と問わず語りにことばを発し続ける。過去に台湾を統治した日本につながる一人として、宜蘭クレオールの人々の声に耳を澄まし、これからもその苦悩に向き合い続ける責務を感じる。

 

≪引用文献≫
(1) 真田信治(2009)「越境した日本語-話者の「語り」から-」和泉書院 p.101
(2) 真田信治・簡月真(2008)「台湾における日本語クレオールについて」『日本語の研究』第4巻2号
(3) 先住民族の権利の宣言第13条➀によれば、「先住民族は、その歴史、言語、口承による伝統、哲学、表記方法及び文学を再活性化し、使用し、発展させ、及び将来の世代に伝達する権利並びに社会、場所及び個人に固有の名称を付し、及び継続して使用する権利を有する。」とある。
(4) 2011年より寒渓泰雅語はこの検定制度からは除外された。その理由としては寒渓村内でのコンセンサスが得られていないことやアタヤル語話者から寒渓泰雅語は正統なアタヤル語ではないとの異論が出されたこと等による。(真田信治(2105)「日本語系クレオール語の形成プロセス」『社会言語科学』第17巻第2号p.9)

≪参考文献≫
(1) 田中克彦(1999)「クレオール語と日本語」岩波書店
(2) 渋谷勝己・簡月真(2013)「旅するニホンゴ-異言語との出会いが変えたもの」岩波書店
(3) 真田信治(2009)「越境した日本語-話者の「語り」から-」和泉書院
(4) 真田信治(2019)「アジア太平洋の日本語」『シリーズ日本語の動態3』ひつじ書房

©2014 Yoshimi OGAWA