エジプトにおける日本語教育
川橋 葉子
1. はじめに
1973年の第一次石油危機以降、日本政府は原油生産国とのより強固で良好な関係を築くため、エジプトにおける日本語教育振興にも力を注いできた。しかし、エジプトにおいては、日本語学習があまり広まっていない印象がある。そこで、本稿ではエジプトにおける日本語教育についてまとめた。
2. エジプトの状況
2.1 基本情報
国土は約100万平方キロメートル、人口1億233万人(世界銀行2020)、主にアラブ人(他ヌビア人、アルメニア人、ギリシャ人等)が居住し、公用語はアラビア語である。
小学校6年、中学校3年、高等学校または職業高校3年、大学4年(医学部6年、工学部5年)。中学校から英語が必修第一外国語、高校から第二外国語が(フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語等より)選択必修となる。フランス語が主である。
3. 日本語教育概略
3.1 背景
第一次石油危機で初めてアラブ諸国との経済文化協力の必要性を認識させられた日本が積極的に働きかけカイロ大学文学部日本語・日本文学科を開設した(関1980)。日本語教育はそのカイロ大学と在エジプト日本大使館日本語講座を中心に行われ、これら二つの講座が開設される以前には組織だっては全く行われなかった(ハムザ他1995)。
3.2 現在の日本語教育機関
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初等教育 |
中等教育 |
高等教育 |
学校教育以外 |
合計 |
人数 |
0人(0.0%) |
148人(9.2%) |
972人(60.7%) |
482人(30.1%) |
1,602人(100%) |
(2018年度国際交流基金調べ)
2018年度に高校の選択科目で行われていたが、2019年度以降は確認なし。2020年には国立5大学と私立1大学が日本語専攻科を開設、エジプト日本科学技術大学工学(E-JUST)や観光関係の高等専門学校で選択科目や必修科目として日本語教育が実施されている。
3.3 在エジプト日本大使館広報文化センター日本語講座(1969)
日本エジプト両国の相互理解促進に資することを目的として開設された最初の日本語講座である。無料講座であるが、大使館に設置され信頼があり、成績優秀者には訪日の機会が与えられた(ハムザ他1995)。2001年エジプト日本語教育振興会が引き継ぎ、2007年には国際交流基金カイロ事務所の従来講座と統合された。
3.3.1 教師
1982年には卒業生も参加、1988年からは常時1名の専門家が国際交流基金より派遣 されている。1995年には現地の日本人教師3名とエジプト人教師1名、2020年には日本人教師が常勤1名と非常勤3名となっている。また、2001年から2004年と2010年以降、日本語教師養成講座が実施され、2020年までに延べ65名程度の修了者を輩出している。
3.3.2 学習者
一般社会人と学生。
3.3.3 クラス
開設当初は週2回各2時間、1クラス36名、1971年に2クラス制、翌年に3クラス制となった。1995年にはレベル1から6までの6レベル制(各レベル1クラス、最大55名程度)で、1コマ1時間半、週3コマ。現在は高校生から一般成人を対象とし、レベルは初級(A1)から中級(B1)までの9レベル、2020年には150名強の学習者が在籍。
3.4 カイロ大学文学部日本語・日本文学科(1974)
カイロ大学は1908年創設、1925年に国立大学となる。文学部日本語日本文学科はアラブ圏初の日本語教育・日本研究の専攻学科である。1994年に大学院が開設され、修士課程、博士課程もある。
3.4.1 教師
開設当初、国際交流基金より1名の日本人教員が派遣され、1977年からは4名、1987年からは3名、1993年以降1名が派遣されている。1987年から卒業生が参加している。
3.4.2 学習者
1978年は19名から37名、1980年代は10名台前半、1995年は英語とアラビア語が一定のレベルにある日本語科の学生限定で定員22名であった。現在は1クラス定員20名である。
4. 日本の支援
カイロ大学は1974年と1992年、2000年に開設されたアイン・シャムス大学外国語学部日本語学科は2003年に文化無償協力により機材供与を得ている。2010年の日・エジプト科学技術協力協定によりエジプト日本科学技術大学が開校、2013年にはアスワン大学言語翻訳学部日本語学科が開設された。2016年のエジプトの若者の能力強化を目的とした教育に関する共同パートナーシップ(エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP))によりバンハ大学で日本語専攻、アズハル大学、カイロ大学で言語翻訳学部日本語学科が開設された。
5. エジプトにおける日本語教育の問題点
カイロ大学のカラム・ハリール学科長は「大学の正規教員を含め一般的に教員の給与は極めて低く、金銭的には魅力的な職業ではない」、高収入が見込めると考えられている観光ガイドへの就職を希望する学生が多いと述べ、教師不足を指摘している(国際交流基金2011)。また、関(1980)は日本語教授上の問題点(言語外の問題)として、(1)エジプト人の情報伝達パターン(2)「コンプレックス」を感じないエジプト人(3)エジプト式語学教育法の3点を挙げている。
6. おわりに
日本はエジプトに対し、多大な支援を行ってきたが、実際に日本語学習はあまり広まっていない。EJEPにより環境は整えられつつあるが、観光業もそれほど高収入ではなく、若者の失業率も高いエジプトでは、日本語を学ぶメリットがまだまだ少ないと感じた。また、生活習慣や考え方の影響も大きく、エジプト人の考え方を日本人が理解し、それを日本語教育の現場で生かすことも必要であると感じた。
参考文献
関正昭(1980)「エジプトの日本語教育」『日本語教育』41号,日本語教育学会
ハムザ・イサム、虎尾憲史、花田久美子(1995)「エジプトにおける日本語教育」『世界の日本語教育 日本語教育事情報告編』第2巻、国際交流基金松村明(1970)『洋学資料と近代日本語の研究』東京堂出版
吉田昌平(2007)「日本語教育における中東との連携を目指して」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集』Vol.14
外務省-エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)基礎データ
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/egypt/data.html#section5>(2022年7月10日閲覧)
外務省-日本のODAプロジェクトエジプト無償資金協力
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/gaiyou/odaproject/africa/egypt/index_01.html>(2022年7月10日閲覧)
外務省-エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP)
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000136266.pdf>(2022年7月10日閲覧)
国際交流基金-エジプト(2020年度)
<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2020/egypt.html#RYAKUSHI>(2022年7月10日閲覧)
国際交流基金-国際交流基金賞:平成23(2011)年度 受賞者
<https://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2011/>(2022年7月10日閲覧)
国際交流基金「エジプトの日本語教育とカイロ大学の歩み」
<https://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2011/dl/cairo.pdf>(2022年7月10日閲覧)
在エジプト日本国大使館-二国間関係情報~日本との関係
<https://www.eg.emb-japan.go.jp/j/egypt_info/basic/egypt_japan.htm>(2022年7月10日閲覧)
Internet archive- Published in Cairo by AL-AHRAM established in 1875
<http://weekly.ahram.org.eg/2004/717/ec2.htm>(2022年7月10日閲覧)
JICA独立行政法人国際協力機構<https://www.jica.go.jp/egypt/index.html>(2022年7月10日閲覧)
略史:
年 |
世界情勢・条約 |
日本による支援 |
日本語講座等の開始、開設 |
1936 |
公使館設置 |
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1941 |
国交断絶 |
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1952 |
国交回復 |
技術協力支援開始 |
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1954 |
大使館に昇格 |
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1957 |
文化協定 |
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1958 |
貿易支払取極 |
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1963 |
航空協定 |
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1969 |
二重課税防止条約 |
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在エジプト日本国大使館「日本語講座」 |
1973 |
第一次石油危機 |
日本による無償資金協力供与 |
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1974 |
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円借款供与 文化無償協力(カイロ大学) |
カイロ大学文学部日本語日本文学科 同大学に国際交流基金専門家派遣 |
1977 |
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JICAエジプト事務所 |
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1978 |
投資保護協定 |
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1979 |
第二次石油危機 |
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1984 |
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技術協力協定 |
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1988 |
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国立文化センター |
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1990 |
第三次石油危機 |
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1991 |
湾岸戦争 |
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観光ホテル・ハイ・インスティテュート日本語科 |
1992 |
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文化無償協力(カイロ大学) |
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1994 |
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総合日本文化紹介行事 |
カイロ大学文学部日本語日本文学学科大学院 |
1995 |
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青年海外協力隊派遣取極 |
国際交流基金カイロ事務所 |
1998 |
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カイロにおいて日本語能力試験実施 Narita Academyが日本語講座 |
2000 |
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アイン・シャムス大学外国語学部日本語学科 |
2001 |
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エジプト日本語教育振興会(「日本語講座」) |
2002 |
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日本からの経済支援トップ国に |
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2003 |
イラク戦争 |
文化無償協力(アイン・シャムス大学) |
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2004 |
原油高騰(2008年秋頃まで) |
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アイン・シャムス大学外国語学部日本語学科大学院(2012年9月新規募集休止) |
2005 |
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ミスル科学技術大学言語翻訳学部日本語学科 |
2007 |
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「日本語講座」-国際交流基金カイロ事務所 |
2010 |
邦人渡航者数過去最高(約12.6万人) |
日・エジプト科学技術協力協定 エジプト日本科学技術大学(E-JUST) |
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2011 |
ムバラク大統領辞任 |
(邦人渡航者数約2.6万人) |
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2013 |
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アスワン大学言語翻訳学部日本語学科 |
2014 |
エジコン(コスプレイベント)開催 逆オイルショック |
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2016 |
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エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP) エジプト日本科学技術大学工学部8学科に機材供与 |
バンハ大学文学部東洋言語学科日本語専攻 |
2017 |
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エジプト日本科学技術大学工学部に第3、4学年用の機材供与 |
エジプト日本科学技術大学にて学部生に対して必修科目としての日本語の授業開始 |
2018 |
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カイロ大学言語翻訳学部日本語学科 アズハル大学言語翻訳学部日本語学科 |