メキシコにおける日本語教育の展開

課題と「日本メキシコ学院」の特徴

 

山本栄作

Ⅰ.はじめに

 メキシコにおける日本語教育の展開・課題と、1977年にメキシコと日本両政府の出資で設立された日本メキシコ学院の特徴をまとめる。

 

Ⅱ.メキシコにおける日本語教育の展開

1888年に締結された日本・メキシコ通商修好条約は平等条約で、戦時中を含め、両国は比較的友好的な関係が続いた。戦後も早期から関係を立て直し、政治、経済、文化面で関係を強めてきた。

 

1.戦前

1)「日墨協同会社」の実績(19011920

1897、榎本植民地計画(ブラジル、ペルーに先立つ移民計画)として36名が送り出されたが、コーヒー栽培に適さない現地環境、風土病、財政問題などにより失敗した。その後、現地に残った6名が「日墨協同会社」を立ち上げた(1901~1920)。

②農業、薬局、雑貨などを扱う以外に、現地に水道を引いたり、橋を架けるなどの公共事業を行い、地域に多大な貢献をした。

③「アウロラ(暁)小学校」を設立し、日本から教師を招き、教科書を取り寄せ、日本の教育を行った(19061914)。

④同志社大 村井次郎を呼びよせ、西日辞書を作成させた(191419183万語。日本語訳にローマ字ルビを振り、現地人の日本語学習にも配慮されていた。メキシコ革命のタイミングで政情が不安定だったなため、メキシコでは出版されず、1925年、東京で2000部のみ出版された。)    (JPA横浜 海外移住管理局(2017))

2)中央学園設立(1944

①大戦中、在留邦人はメキシコ市に強制的に集められたが、この環境下で、一世たちが日本人子弟の教育のために中央学園を立ち上げた。メキシコ政府も、本校を含め5つの日本語学校を許可した。

生徒は午前メキシコの学校に通い、午後日本語学校へ通った。

Discover Nikkei メキシコの中央学園:日系社会の功績を育んだ種)

 

2.戦後~現在

1)1960年代以降、政治、経済、文化関係を徐々に深めた。メキシコオリンピックの前後から、日本語教育機関が設立された。

2)1977年には両国の教育システムを織り込んだ日本メキシコ学院が設立された(下記Ⅳで詳述)。

3)北米自由貿易協定(NAFTA)発効(1994)、日墨経済連携協定(EPA)発効(2005)などにより、日本企業の進出がさらに増え、これに伴って、現地大学・小中学校での日本語教育機関が増えている。

(副島(2006)、在メキシコ日本国大使館ホームページ(2015))

 

Ⅲ.メキシコにおける日本語教育の特徴と課題

1.「日系人の継承教育のための日本語」から「外国語としての日本語」への移行

日本語教育は、当初継承教育として行われたが、いまでは学習者の9割以上が非日系人である。

表1は中央学園での学習者数変化の例を示す。(副島(2006))

2.日本語教育機関

表2:メキシコの日本語教育機関、教師、学習者数の推移(副島(2006))

 

機関

教師

学習者

1990

8

48

1,405

1993

29

113

3,132

1998

48

168

4,099

2003

60

204

4,823

2015

68

322

9,240

2018

120

483

13,673

1)日本語教育機関数、教師数、学習者数、いずれも年々増加してきている。

2)日本語教師は従来ネイティブがほとんどだったが、ノンネイティブであるメキシコ人教師も増えている(2004年約50名。4人に1人の割合)。                                                                                                                  (副島(2006))

3)国際交流基金のEラーニングへの登録が多く、表2以外にも個人でインターネットを使って日本語を学ぶ独

習者も相当数いるとみられる。

4)パヒオ地区で自動車関連などの日系企業が進出し、企業内通訳業務など日本語人材需要が急速に高まっており、同地区における日本語学習者が急増している。                                                                (国際交流基金ホームページ)

 

3.日本語学習の課題

1)学習継続率が低い

①日本語能力試験の受験者数は増加しているが、増加しているのは3,4級受験者で、1、2級受験者の数はさほど増えていない。初級コースに入った学生が、学習半ばにして止めてしまうケースが多い。

②日本語を生かした職に就く例がごく少数で、学習動機はおおむね「日本文化への関心」で、上級レベまで学習が進まないケースが多い。

表3

2)教師不足

①専門性を持たないメキシコ滞在の日本人が担当することが多い。

待遇面がよいとは言えない。(2022/5日本メキシコ学院求人例:月給18,000ペソ(約12万円))

ノンネイティブであるメキシコ人教師が増えたこと自体は歓迎だが、日本語運用力は高くない。

イベント運営などで主導的役割を果たしてくれる日本人教師も、2~3年程度で帰国してしまう。

(副島(2006))

 

Ⅳ.日本メキシコ学院

1.設立の経緯

1972年 在日日系人や日本人から、充実した教育を受けさせることができる、メキシコ人生徒とともに

勉強できる学校が必要との要望書が提出された。

1974年 田中首相とエチェベリア大統領との会談で日本語学院建設への支援が示された。

1977年 日系社会、日本企業、日本政府の援助の基に、複数あった日本語学校を統合して、設立された。

2.特徴

①日本語コースとメキシココースがある。国籍に関わらず、入学時にコースを選択できる(全生徒1,000名以上)。

1)日本語コース 幼稚園~中学校

日本の文部省の教育課程に準拠し、日本の文部科学省から派遣された教員が日本語を使って日本の義務教育を行う。

2)メキシココース 幼稚園~高校

メキシコの文部省の教育課程に準じ、メキシコ人教師がスペイン語を使って授業を行う。

(幼稚園では日本語コースとメキシココースが分かれているが、教育は混合で行われている。)

②日本語またはスペイン語学習が取り入られており、互いに日本文化、メキシコ文化を学ぶ授業や活動がある。

③学校修了生に対して行った調査によると、

ア)外国語(スペイン語または日本語)の能力はバラツキが大きく、母語に近いレベルの人もいれば殆ど覚えていない人もいた。

イ)「学校教育の現在への影響」を行った調査で影響が大きかった項目のうち、日本語コース、メキシココースの間で、差異があった項目(グラフ1「□」:日本語コースで多い項目、「〇」:メキシココースで多い項目):

                日本語コース・・・自由と平等、母国を客観視、主体的考え・行動

              メキシココース・・・目標への根気・努力、礼儀や形式、高い学歴、

             高い収入、高い社会階層

 それぞれの文化の影響を受けていること、国際的視野が養われたこと、また本校卒業生はメキシコ国内で高いステータスを得ていること等が伺われる(メキシコシティーの私立高校ランキング67校中1位(メキシコの新聞 レフォルマ紙)。

(齋藤、田中(2021)、外務省 世界の学校を見てみよう メキシコ合衆国)

 

Ⅴ.感想

1.日本企業が入っている地域では、ビジネスでの日本語需要、駐在員子女に対する日本語教育需要が一定数見込まれるが、多くのメキシコ人にとってビジネス言語は欧米向けの英語が中心となると考えられ、上級レベルまで日本語を学習する学習者が増えるのは難しいように感じた。

2.日本メキシコ学院は、日本とメキシコそれぞれの特長を有しており、面白い学校システムだと思った。

 

表4:メキシコ社会の日本語教育機関設立推移(参考文献より作成)

 

メキシコ社会の出来事(日本と関連するもの)

メキシコの社会の日本語教育機関

1888

日本・メキシコ通商修好条約(平等条約)

1897

榎本植民地計画(ペルー移民の2年前、ブラジル移民の11年前)

コーヒー栽培を目的に農業移民36名を送り出す。3年で行き詰まり。

(財政問題、風土病、コーヒー栽培に合わない環境)

1901

日墨協同会社

現地に残った6名により日墨友好理念の会社を設立(農業、薬局、雑貨、公共事業 ~1920

水道を引いたり、橋をかけるなど地域に貢献

 

メキシコの労働者不足に合わせ、民間移民会社により1万人の移民。しかしアメリカへの密入国が絶えず、1907年に移民渡航禁止

日墨協同会社

暁(アウロラ)小学校設立(19061914

日本からの教師、教科書を使用

同志社大学村井次郎に西和辞典編纂依頼(1914)。3万語の辞典、4年後完成。2000部東京で出版(1925。日本語訳にローマ字ルビを振り、現地人の日本語学習にも配慮

19101917

メキシコ革命、政情不安

ディアス独裁大統領追放(1911

19201930

漁業、綿花栽培の日本からの移民増加

出稼ぎ→定住への変換 と各地域での日本人会設立

19391945

第二次世界大戦

在留邦人はグアダラハラ市、メキシコ市に強制立ち退き

中央学園設立(1944

1950年代

日墨協会設立(1956  日墨友好の促進

各種日本企業がメキシコへ進出(商社、武田)

1960年代

 

メキシコ日産(1961~徐々に拡大)

メキシコオリンピック(1968

日本メキシコ通称協定(1969

アジア・アフリカ研究センター日本語学科(

1964)

メキシコ国立自治大学文学部東洋研究所 日本語学科 日本語教育(1967

日本語大使館後援の日本語通訳養成コース(1968 後の日墨文化学院)

1970年代

日本メキシコ経済協議会(1977)

製鉄所建設支援など、技術支援、メキシコの

石油等、両国の経済関係が発展

日本メキシコ学院設立(1977

1980年代

日本メキシコ友好基金(1980

政治、経済、文化交流の促進

多くの大学で日本語講座が開講

メキシコ日本語教師連絡協議会 発足)(1989

1990年代

北米自由貿易協定(NAFTA)発効(1994

(欧州、南米市場にも自由なアクセスを構築)

2000年代~

日墨経済連携協定(EPA)発効(2005

社団法人メキシコ日本語教師会 発足(2003

2010年代

パヒオ地区(グアナファト州、ハリスコ州(州都:グアダラハラ)など)に日系企業が進出。

2011年に87社→2019年に632社(グアナファト州にマツダ、ホンダ、トヨタなど自動車3社、ハリスコ州に旭硝子、ヤクルト、花王など)

2016

グアナファト大学付属高校グアナファト校、サラマンカ校日本語必修

グアナファト州

MAGNO BICULTURAL COLLEGE)(幼稚部~高等部)小学校から日本語必修

2018

グアダラハラ大学サン・ファン・デ・ラゴスキャンパス外国語学部 日本語専攻開設

グアナファト州

COLEGIO AMERICANO DEL CENTRP A.C(小中一貫校)日本語必修

 

参考文献

片島康夫(1998)「メキシコの日本語教育事情―日系社会の日本語教育事情―」『地域総研所報』No5, 39-48

齋藤さくら、田中京子(2021)「日本発の国際学校で学んだこともたちは今―「日本メキシコ学院」の二文化教

育の成果を探る」『名古屋大学留学生センター紀要』4, 29-42

副島健治(2006)「メキシコの日本語教育―過渡期としての近年の動向」『ポリグロシア第11巻』立命館アジア太平洋大学, 185-197

柳沼孝一郎(2021)「日本とメキシコ:日墨関係140年の系譜と展望」神田外語大学日本研究所紀要 13, 238-217

山本明子(2014)「メキシコにおける日本語教育の現状」『外国語教育―理論と実践』第40号 天理大学言語教育研究センター 75-91

JPA横浜 海外移住管理局(2017)「日本人メキシコ移住120周年記念企画展示メヒコの心に生きた移民たち」

https://www.jica.go.jp/jomm/outline/ku57pq00000lx6dz-att/dayori47.pdf

Discover Nikkei メキシコの中央学園:日系社会の功績を育んだ種

http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2016/6/3/chuo-gakuen/

Discover Nikkei メキシコ榎本植民団に「海外移住の夢」を託した榎本武揚という人物―その2

https://www.discovernikkei.org/en/journal/2019/3/14/takeaki-enomoto-2/

外務省 世界の学校を見てみよう メキシコ合衆国

https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/0401mexico.html

国際交流基金ホームページ

https//www.jpf.go.jp/j/project/Japanese/survey/area/country/2020/mexico.html

在メキシコ日本国大使館ホームページ(2015) メキシコ経済・自動車産業外観

 https://www.mx.emb-japan.go.jp/keizai/kigyo5.pdf