ペルー人日系社会における日本語教育-時代の変遷とともに

 

 Tanaka Namie、荒木和子

 

キーワード:継承語、外国語教育、日系ペルー人

 

1.新天地へ

1.1 ペルーへの移民の開始

 1899 年(明治 32 年)4月3日最初の移民として、ペルーのサトウキビ耕地への契約移民として、790 名が横浜港から出港。カイヤオに到着

 

1.2 プランテーションでの過酷な労働環境と生活、そしてリマへ

 19 世紀末、ペルーの海岸地帯のオアシスの大規模サトウキビ耕地が海外資本によって次々と開発された。 契約農民として働く人々の労働条件、労働環境は過酷で、そのような生活に見切りをつけて都市リマに 脱出する者も多かった。

 

1.3 リマで起業相次ぐ[表1]、日系社会の拡大と発展

 1917 年 「ペルー中央日本人会」発足 1924~1939 「呼び寄せ制度」の利用により、日本人移民の増加 2023 年日本人ペルー移住 124 周年を迎え、現在ペルーの日系人は約20 万人強となった。

 

2.ペルーでの日本語教育(1)~継承語として 2世まで

2.1 沿革

 1908 年(明治 41 年)カニエテ市、サンタ・バルバラにペルー初の日本人小学校 創設 1920 年(大正 9 年)首都リマに里馬日本人小学校(通称リマ・ニッコウ)創設 最盛期には約 1800 名 1941 年まで カヤオ、ワチョ、チンボテ、ワンカヨなどにおいてに 50 校の日本人小 学校が創設 1942 年 太平洋戦争勃発 多くの日本人小学校が閉鎖、没収

 

2.2 ペルーの日本人学校の特徴

 ①子どもたちの学習や日本語が使えなくなることへの不安と、日本人のアイデンティティーが失われて いくことへの不安から日本国民教育の必要性が求められた。

 ②文部省に在外教育施設として認可され、日本とペルーの双方の正規の指導要領にもと づき、日本語と スペイン語で教育が行われた。教材は、日本政府からの援助で、日本の学校と同等のものが揃っていた。

 

3.ペルーでの日本語教育(2)~外国語として 3世、4世

3.1 政府の認定の公教育機関としての日系人学校

 現在ペルーには日系人学校が4校あり、(資料1参照)第二外国語として日本語が教えられている。こ れらの学校では、既に非日系の子弟が過半数を超えている。

 

3.2民間の日本語教育機関

 日本語教育を実施している高校、大学が少ないため、日本語に関心を持つ多くの生徒は、民間の日本 教育機関で日本語を学んでいる。 表1 

 

4.日本へ

4.1出稼ぎとニューカマー

 1980 年代後半から 90 年代前半にかけ、経済、社会の国際化が進展し、国際社会における日本の役割が 増大する。国に入国、在留し就労する外国人の数が著しく増加した。一方、バブル経済による好景気の 下で企業の人手不足や円高による出稼ぎメリットの拡大などを背景として、単純労働分野に大量の不法 就労外国人が就労していた。ペルーはこの時期重大な経済不安定とハイパーインフレを経験していた。職を失い、生活が成り立たないことにより日本への出稼ぎをする人がいた。 1990 年に出入国管理及び難民認定法(入管法」)が改正され、在留資格が現在の 27 種類に大幅に増加 したほか、不法就労対策の強化が行われた。日系三世に定住者ビザを付与することで、三世までの日系 人とその家族の就労制限がなくなり、結果として単純労働にも就くことが可能となった。(新来外国 人:ニューカマー)

 

4.2日系ペルー人定住化の時期

 それまでは働き手だけが来日して母国の家族に送金する純粋な出稼ぎであったが、2000 年代からは仕事 や生活が安定することによって、配偶者や子どもなどの家族を呼び寄せ、日本での出産数も増えていっ た。それに伴い、子どもの教育問題や健康問題なども増加する。日系ペルー人の日本語学習のニーズも 世代によって異なる。(表 2 参照)

 

5.日本での日本語教育

5.1沿革

 日本では上記のニーズから、心理的、受入国への文化適応、文化的エンクレーブ、自国の政治団体形成、 受入国に対する支援や教育の役割を持つ政治的団体が誕生する。 1998 年に定非営利活動法人日本ペルー共生協会神奈川 AJAPE 創立。 2012 年には AMAUTA スペイ ン語母語保持教室が設立。 2003 年 浜松に学校法人ムンド・デ・アレグリア学校創設。午前中は母語教育、午後は日本語教育。 (資料 2 参照)

 

5.2日本での教育の特徴

 上記の団体や学校では子供には日本語を教えるが母語が確立していないと第二言語を習得できにくいと いう考えから継承語スペイン語教育も行われる。また、成人向けの日本語教室もある。子ども達が一生 懸命に日本語を勉強する姿を見て、親たちもはじめは時間がない、仕事が忙しいといった理由で、なか なか日本語のクラスに参加しなかったが、子ども達の成長を見ることが、親にも影響することがあり、 参加するようになることも見られる。

 

6.考察

 ペルー、そして日本の両国で日系人社会の中および非日系人でも海外にいる間は母語の継承教育が子供 たちのアイデンティティーの形成にも関わり、もう片方の言語能力を身に着けるための基盤になること がわかる。言葉が話せない状態では学校生活、労働やその他の活動に参加するのは困難であり、言語能 力はあらゆる分野で非常に重要な要素であることがわかる。日本国内でも社会への適応力という観点か ら日本語教育とともに子供たちの母語教育も重要だと言える。

 

国際交流基金 日本語教育機関検索サイト 南米ペルー(2023 年度)

(https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2023/peru.pdf) 2024 年 7 月 10 日ダウ ンロード

 

小波津ホセ(2022)「コロナ禍の南米出身家族の 可視化しない現状 ~ペルー人児童生徒への 学習支援 からみえたこと」

(https://www.jica.go.jp/Resource/jica-ri/ja/news/topics/uc7fig00000024wkatt/20220202.pdf) 2024 年 7 月 12 日ダウンロード

 

手塚和彰(2008)「日本の外国人労働者受け入れ策 必要な政策転換」 (https://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2000/2008-09_002.pdf?noprint)

 

日本ペルー共生協会 AJAPE について(https://ajape.org/jp/)

 

フアン・カルロス・ナカソネ・オオシロ(2023)「第 50 回(2023 年度)国際交流基金賞 ~越境する 文化~」ペルー日系人協会 受賞記念講演(YouTube 映像あり)

国際交流基金 - 令和 5(2023)年度 国際交流基金賞 受賞記念イベント (https://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2023/lecture.html) 2024 年 7 月 10 日ダウンロード

 

村松紀子(2012)「日本へ帰ってきた日系ペルー人の 20 年― 相談窓口における定点観測」第 34 回兵庫 自治研集会 第 11 分科会 地域から考える「人権」「平和」(https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_hyogo34/11/1111_jre/index.htm)

 

柳田利夫(1999)『ペルー日系人の 20 世紀』芙蓉書房出版