英語教育顧問ハロルド・パーマーと日本語教育
鷹野由佳
1.はじめに
1922年から14年間、文部省の英語教授顧問として滞日したハロルド・E・パーマーは20世紀の英語教育におけるもっとも傑出した人物の一人とも評されている(有田, 2009)。その教授法理論は、当時盛んだったダイレクト・メソッド(直接法)の欠陥を改善し、合理化したものでオーラル・メソッドと名付けられた。日本語教育の先駆者である長沼直兄は、パーマーに師事し、その理論を日本語教育に応用した。
2.ハロルド・エドワード・パーマー(Harold Edward Palmaer)について
イギリス、ロンドン出身。20世紀初頭ヨーロッパ諸国で英語やフランス語の教師を歴任した後、1915年からロンドン大学で教授法や音声学を講じていた。大正末期の1922年、日本の英語教育の改革のために来日する。妻はベルギー出身のエリザベス・パーノード。娘ドロシーと息子トリストラムがいたが、息子は太平洋戦争で戦死する。
3.日本での活動
来日翌月の1922年5月、東京帝国大学で10回にわたる"Modern Methods of Language Teaching"と題する講演を行ったのをはじめ、各地で講演をするようになった。ミッションスクールのアメリカ人教師などから相談を受けるほか、各地から文書による相談や訪問者が来るようになった。そこで、何らかの機関を作ってほしいと言う声が起こり、1923年2月に、"An Association for the Promotion of Research in English Teaching"(仮称)の設立を構想した。その後、名称が"The Institute for Research in English Teaching"(英語教授研究所:現在の財団法人語学教育研究所)と決定され、1923年5月に設立された。パーマーは同研究所の初代所長となる。その後、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)で、自ら提唱するオーラル・メソッドを実践した教育を行う。
4. パーマーの言語教育に対する理念
パーマーは一貫して言語を実用的で、日常の社会交流のための手段としてとらえており、当時の日本での英語に対する教養主義としての英語教育とは反対の立場にあった(有田, 2009) 。
4-1. パーマーのオーラル・メソッド
パーマーは「記憶」をめぐる言語学習のメカニズムから、口頭(オーラル)による学習活動が必須であること、口頭の活動は「記憶」の習慣化を促し、その対極にある「言葉を分割する習慣」を防ぐことができるとした(鈴木, 2014)。パーマーの言語観は、ソシュールに強く影響を受け、言語をソシュールのラングとパロールに通じる code と speech の二つに分類した。言語習得とは、このうちの speech=個人的行為としての言語、運用としての言語を習得することであり、code=社会制度としての言語、規範としての言語を学ぶことではないと言う。すなわち、パーマーにとって言語習得とは、言語に関する静的な規則を知識として得ることではなく、実際の生活場面でコミュニケーションの道具として使えるような技術を体得することであった。
この speech=運用としての言語を習得するために、直接法によって、言語学習の5習性 を身につけなければならないとした。5習性とは幼児の母語獲得の観察から導き出されているもので、①音声の観察②口頭での模倣③口頭での反復④意味化⑤類推による作文の五つである。そして、これを行なうための具体的な練習方法(習慣形成理論)として、①耳を訓練する練習②発音練習③反復練習④再生練習⑤置換練習⑥命令練習⑦定型会話の7つの練習活動をあげている(有田, 2009)。
パーマーの唱えるダイレクト・メソッドとオーラル・メソッドの違い(鈴木, 2014)
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「ダイレクト・メソッド」 |
「オーラル・メソッド」 |
目標や意義 |
・人文主義、理想主義 ・文化理解としての手段としての言語とその習得 ・言語学習によって外国の思想や制度、文学や文化に通じること |
・実用主義 ・コミュニケーションの手段としての言語とその習得 ・身近な、あるいはそうでない多様な目的のために言語を使うことができるようにすること |
指導や活動の特徴 |
・伝統的な正書法の練習を排除する。 ・リーディングの材料は、文脈のある文章、ダイアローグ、叙述、解説を用い、できるだけ理解が容易で、自然かつ興味深いもので構成される。 ・外国語を意識的に習得させるためのプログラムを提供する。 ・言語の理解に関する分析力・統合力を発達させる。 ・耳による活動を目による活動で補う。 |
・あらゆる形態のライティングを排除する。 ・リーディングをいっさい排除する。 ・外国語を意識的に習得する活動のほか、無意識的に習得できる能力を訓練し発達させる。 ・言語の理解に関する分析力や統合力を発達させることは避け、学習者の記憶の力と習慣形成の育成に力を注ぐ。 ・目による活動で補うことなく耳による活動を基本とする。 |
5.日本語教育に受け継がれていった背景
文法訳読法中心の当時の英語教育界で、音声教育を重視したオーラル・メソッドを英語教師が用いて授業を行うことは難しかった。直接法によるオーラル・メソッドを用いる力量が、当時の平均的な英語教師にはなかったのである。これは、日本の英語教育界でオーラルメソッドが普及しなかった理由の一つと言える。
また、日本が第二次世界大戦に近づいていく中で、英語は敵性語から敵国語となる社会風潮にあった。そのような時代背景において、英国人による英語教授法の改革が広まる可能性は少なかったが、反対に「日本精神は日本語でしか伝わらない」という観念がまかり通る時代でもあった。そのため、日本語教育においては、直接法によるパーマーの理論と方法の需要を後押しした。 これは、英語教育との大きな違いであったと言える(有田, 2009)。
5-1. 長沼直兄
パーマーに協力して、共に英語教授研究所を設立した。その後、アメリカ大使館の日本語教師としてアメリカの外交官、軍人に日本語を教え始めた。さらに大使館員のための日本語教科書として日本語読本の開発に着手し、1933年ごろまでに、初めての本格的日本語教材「標準日本語読本」全7巻を完成させた。米軍人、宣教師の日本語教育で活躍し、1948年には財団法人言語文化研究所付属東京日本語学校を開校した。長沼直兄はパーマーが提唱した「オーラル・メソッド」の影響を受け、これを日本語教育に応用して「問答法(ナガヌマ・メソッド)」を開発した。
6. おわりに
先にも述べた通り、パーマーが日本に滞在した期間は1922年から1936年までの14年間であった。この時期はちょうど第一次世界大戦(1914年~1918年)と第二次世界大戦(1939年~1945年)のはざまであり、彼の理想とする言語教育と国の政策との間で板挟みになったことは想像に難くない。しかし、パーマーの考案したオーラルメソッドは、「日本語を道具として駆使する習慣をつける、言語は習うべきものではなく練習すべきもの」といった長沼直兄の日本語教育の指導観に受け継がれていった。
【参考文献】
有田佳代子(2009)「パーマーのオーラル・メソッド受容についての一考察 : 「実用」の語学教育を めぐって」『一橋大学留学生センター紀要』12, 一橋大学
鈴木潤吉(2014)「長沼メソッドの源流をたどって : ハロルド・E・パーマーのオーラル・メソッド」『日本語教育研究』(60),長沼言語文化研究所
伊村元道(1997)『パーマーと日本の英語教育』大修館書店
財団法人言語文化研究所(編)(1981)『長沼直兄と日本語教育』開拓社
一般財団法人語学教育研究所ホームページ https://www.irlt.or.jp/modules/bulletin/