西尾亜佑美 盧梓群
1.はじめに
オーストラリアの日本語学習者数は常に上位 5 位以内に入っており、学習者数が多い。戦後からのオーストラリアにおける言語政策と日本語学習者に対する影響、学習環境について調査し、まとめる。
2.アジアへの関心(戦後~1970 年代)
戦時中、オーストラリアの日本語教育は軍事的必要性から学ばれていた。戦後は、経済の立て直しを目的にアジアとの交流の重要性が認識され始める。そして 1970 年代に入り、当時までヨーロッパへの輸出入の窓口であったイギリスが 1973 年に EC に加盟、英連邦の国々からの輸入免税を撤廃したことにより、「脱欧入亜」の方針が採択され、アジア交流を重視する流れが加速する。
3.多文化主義の提唱による学習者の激増(1980~1990 年代)
以前まで唱えられていた「白豪主義」に代わるものとして、1983 年に労働党のホーク首相が多文化主義を提唱し、後述の LOTE 教育の実施が促される。また、世界的な日本語教育ブームに加え、円高による日本からの観光客や留学生の増加、交通・通手段の発達による交流が増加した。
【言語政策】
「単一言語主義」に基づく英語同化政策から、LOTE(Language Other than
English)教育の強化へと移る。そして 1995 年、NALSAS プログラム1により日本語を
含む 4 言語が、オーストラリアの経済発展において特に学習すべき優先言語と指定され、その学習支援に連邦政府が毎年 3000 万ドルにのぼる財政的支援を行う。
※LOTE 教育:初等・中等教育課程における外国語教育プログラム
【日本語教育政策】
幼稚園から日本語を教えるなど、初中等教育が中心となり、教材やシラバス・カリキュラムの充実化が図られた(資料1を参照)。
1983 年 日本が「留学生 10 万人計画」を発表
1988 年 LOTE 教育の実行。中等教育課程に始まり、次第に初等教育過程へと拡大
※これを機に日本語学習を始める日本語学習者が急増
1990 年代半ば以降 日本の大学との交換プログラムの活性化
【学習環境】
1990 年、オーストラリアにおける日本語学習者数は 6 万人前後であったが、1993年には約 18 万人に、1998 年以降は 30 万人を超えた。この学習者の急増により、1990 年代前半は日本語教師の数や質の不足に陥る。そして学習者のうち 9 割以上は小中高校生であり、10 年生までは必修である外国語科目のため仕方なく学習している者も多数いる。
4.現在のオーストラリアにおける日本語教育(2000 年代以降)
これまでは「量的な」日本語教育であったが、2000 年代以降は学習者の定着を図り、「質的な」日本語教育が要求されるようになった。
【言語政策】
2002 年 予算不足により NALSAS プログラムが終了
2007 年6月7日 National Languages Summit
・Language in Crisis にて高等教育における学習者の低迷の問題を指摘
・初中等教育での LOTE 教育の義務化、高等教育レベルでの拡張を提唱
2009 年~2012 年 240 万ドルを支援することを骨子とする NALSSP を開始
① 各州の政府や非政府の教育当局への支援
② 大学・アジアコミュニティーなどの機関への支援
③ 学校への直接的な支援
④ 連邦政府の国家プロジェクトへの支援
【日本語教育政策】
2010 年 日本語を含んだアジア言語の教師養成プログラム開設準備を開始
【学習環境】
Lee(2010)によると、オーストラリアにおける日本語学習者のなかでもアジア系の移民の 1~3 世、海外からきている留学生など非英語圏の学習者が増加しており、学習理由も「英語でエッセイを書かなくてよい」などの消極的な理由から選択している生徒たちもかなりいる。
5.まとめ
戦後のオーストラリア、特に 1990 年からの「日本語教育ブーム」には目を見張るものがあるが、学習者が主体的に日本語を「選んだ」というより、言語政策によって「選ばされた」ような印象を強く受ける。実際、初中等教育を終えてからも日本語学習を続ける者は多くなく、日本語学習の定着を図ることが今後の課題となるだろう。
【参考文献】
青木麻衣子(2006)「オーストラリアにおける最初の国家言語政策の必要性をめぐって―エスニック・コミュニティ、言語教育の専門家、連邦教育省の動向から」『Sauvage 北海道大学大学院国際広報メディア研究科院生論集 』2
国際交流基金(2023)『アジア・大洋州の日本研究事情―オーストラリア』(2024年 7 月 21 日)
〈https://www.jpf.go.jp/j/project/intel/study/overview/oceania/australia.html〉
嶋津拓『オーストラリアにおける日本語教育の位置~その 100 年の変遷~』凡人社、2008 年。
嶋津拓『オーストラリアの日本語教育と日本の対オーストラリア日本語普及-その「政策」の戦間期における動向』ひつじ書房、2004 年。
嶋津拓『海外の「日本語学習熱」と日本』三元社、2008 年。
トムソン木下千尋(2010)「オーストラリアの日本語学習者像を探る」『オーストラリア研究紀要』36 追手門学院大学オーストラリア研究所
White Karen、嘉数勝美(2001)「オーストラリアにおける言語政策とその展望―
外国語教育政策と日本語教育」『世界の日本語教育 日本語教育事情報告編 』6 国際交流基金
Lee Duck-Young(2010)「オーストラリアにおける多文化・多言語社会と日本語
教育」『横浜国立大学留学生センター教育研究論集』17
▼資料1(Lee(2010)を参考に作成)
『YOROSHIKU』シリーズ
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『KIMONO』、『OBENTO』、『MIRAI』、『IMA』な ど数多くの総合教材が出版された。オーストラリア国 内や海外でも広く使用されている。 |
初等学年における教材
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[コース教材] 『小学校の日本語』、『Yonde Kaite』、『HAI』など [副教材、アクティビティー集] 『Idea Book 1~5』、『Japanese Enrichment Activities』、『Japanese Culture Resources & Activities』など [CD-ROM 教材] 『Sugoi』、『Language Market A&B』、『Michio teaches Japanese』など
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