「エジプトにおける日本語教育/中国語教育」

 

渡辺伸二・宋愷悦

 

はじめに

総務省統計局によると、エジプト(エジプト・アラブ共和国)の人口は1億1,270万人(2023)で、アフリカではナイジェリア、エチオピアに次ぐ3位、世界で14位である。そして、2030年には1億2,000万人に達し、日本の人口を超えることも予測されている。

近年経済成長が語られることの多いエジプトであるが、同国における日本語教育・中国語教育は、どちらも1970年代に本格的に開始、今日3,000名の学習者を誇るなどの共通点も多い。

本稿は、こうした共通点と差異にも着目しながら、その起点から今日までを概観するものである。

大学教育や政府系機関が果たした役割も踏まえ、今後の展望までを整理する。

 

Ⅰ.日本語教育の変遷と課題

 

1)国際交流基金(JF)が主導した段階(~2010)

同国での日本語教育は大使館主導でそれ以前にも開始されていたが、本格的なスタートの契機となったのは1973年オイルショック時の三木武夫副総理の中東諸国歴訪である。エジプトを訪れた際、文化交流も盛んにしていきたいという日本側の強い要望があったことによる。

翌1974年には、カイロ大学に中東・アフリカ地域で初となる日本語日本文学科が開設され、JFからは日本語教育専門家が派遣された。

その後もカイロ大学は日本語教育の中心的存在として、国内のみならず国外の日本語教育にも大きな役割を果たしていく。国外展開の一例が、1994年のサウジアラビア・キングサウード大学での日本語専攻課程設置である。

エジプト側の教員増員要求増強要望と日本側の思惑がマッチせず一時暗雲の時期もあったが、純粋に日本文化に関心を持つ層も現れ、新たな局面に移っていく。

エジプトは観光産業国であることから、初期は学生の学習動機は観光ガイドや旅行代理店への就職のためとする者が多かったが、1980-1990年代は、NHK連続ドラマ『おしん』がエジプトで大人気を博すなど、ドラマや映画も相互理解に貢献、1990年代は、アニメ『キャプテン翼』も影響を及ぼした。

2000年に刊行された『アラブ人のための日本語』は、アラブ圏の日本語学習者向けに作られた初の本格的な教科書である。

2010年には、日本語教育環境整備が成果を収めたことで、JFの日本語専門家派遣事業が終了。

 

2)2010年代

2011年「アラブの春」がエジプトでも起こり、政権崩壊。観光産業の低迷で、日本語観光ガイドの需要が低下し一時期は学習機関数、学習者数が横ばいの状態となるも、その後復活。

2016 年エジプト日本教育パートナーシップ協定(EJEP)締結。

大学での日本語教育熱が、更なるに高まりを見せる。

また、初等教育では日本語教育自体には及ばないものの、掃除・学級会・日直などといった日本式教育の「特活(特別活動)」が注目され、今日に至っている。

 

3)2010年代後半~現在

2021年のデータでは、エジプトの日本語学習者数は、3,514人(35位)。

日本語教育は、高等教育段階以降で推進。

日本は、経済大国、科学技術先進国、ポップカルチャーで、良好なイメージを維持。

学習者に比して教員不足等の課題はあるが、日本語教育は堅調に推移している。

 

■ 課題

下表の通り、エジプトの日本語教育は学習者数、教師数ともにアフリカで最多である。

日本文化への興味や関心も日本語教育への下支えをしているが、初・中等教育での学習が成されていない。

日本語教育全体の底上げの視点から考えると、学習者層の偏重が改善の方向に向かうことが望ましいと言えよう。

 

Ⅱ.中国語教育の変遷と課題

 

1)大学が主導した段階(~2006)

1958年にカイロ高等言語学校に中国語専攻を開設した後、1977年にアインシャムス大学が中国語専攻を開設し、これがエジプトの大学による中国語教育のスタートとなった。

(同大学では、1981年に卒業生による現地教員が誕生)

次いで2004年にカイロ大学が中国語学部を開設、スエズ運河大学が中国語専攻を設けるなど、エジプトにおける中国語教育は、中国人観光客の増加傾向(2006年65,000人超)とともに、進展を見せてきた。

然しながら、初期段階においては教員不足の問題が深刻になり、アインシャムス大学が中国語専攻を開設した直後には僅か2名の中国人教員しかいなかった。

創世記に抱えた教員不足の問題は、その後も続いている。

ミニア大学が2004年に専攻を開設したにもかかわらず教員がおらず、正式的な学生募集は2014年に延期したケースがその一例である。

 

2)孔子学院が主導した急速発展期(2007~現在)

2007年、カイロ大学にエジプト初の孔子学院が設立。

観光業の発展が背景で、ツアーガイドになるため、中国語能力を求める人が急増したことによる。

翌年にはスエズ運河大学にも孔子学院が設立されたが、これは中国語の教員不足を解決するためでもあった。

孔子学院での中国語教育は、以下のような特徴を持つ。

・学習動機:「就職」、「留学」、「同学院の奨学金制度を利用」等。

・奨学金制度と学習者のレベル:

HSK(中国語能力試験)3級、4級に合格すると、奨学金の申請資格を得ることが可能になる。

・3級:学習・仕事・旅行など、日常生活場面で基本会話が可能

・4級:あらたまった場面も含め、より複雑な表現が使える

毎年約30名程度が申請。学習者のレベルは、主に3級以下であると思われる。

・カリキュラム:3学期制を採用。

・春学期(11週間):授業は週2回×3時間

・夏学期(8週間):授業は週3回×3時間

・秋学期(11週間):授業は週2回×3時間

・その他:文化体験、1年間の中国への留学、

中国企業の就職説明会(前述、学習動機の項参照)等

 

■課題

1) 2)の共通事項は教員に関するもので、孔子学院では2年間限定の派遣教師が

過半数を占め教員の変動が激しい。

また孔子学院の課題として、授業方法に統一性が乏しいことで、教員のレベル差が授業のクオリティに影響を及ぼしてしまう点や、使用教材が中国から直送されたものが中心であることなどが指摘されている。

 

Ⅲ.日本語教育と中国語教育~年表による比較~

 

 

 

日本語教育、中国語教育ともに約50年の歴史を有し、文化センターの開設や大学での教育により浸透を図ってきた点など、共通点も見出すことができる。

国際交流基金(JF)と孔子学院が大きな役割を担ってきた点も重なるが、JFが既に専門家派遣事業を終えているものの、中国語教育においては現在も孔子学院が大学教育と両輪で活動を行っている。

 

Ⅳ.まとめ

 

■日本語教育

 

JFが主導し、カイロ大学を起点に本格化していったエジプトでの日本語教育も既に約50年の歴史を刻んでいる。またエジプトで培われた教育は、サウジアラビアなど中東諸国での展開に繋がっているのである。

高等教育に軸足を置いて発展してきたためその教育内容は高いレベルにあるが、反面若年層が日本語教育の機会に恵まれていない点が懸念される。エジプトにおいて日本の「特活」への関心が高まっていることを記したが、これが日本語教育の初等教育への拡大の契機になることが期待される。

同様に、2009年に設立されたエジプト日本科学技術大学(E-JUST)が、専門科目の枠を超え日本語教育とどのような関係を持つかにも注視していきたいと思う。

 

■中国語教育

初期の日本語教育がそうであったように、中国語教育も学習者の増加は観光業の発展と繋がっていた時期があり、今日においてもエジプトの学習者は「就職」を目的として中国語を勉強する傾向が強いものと推測できる。

今日の日本語教育が、純粋に日本文化への興味・関心がトリガーになっていることが多いことを考えると、この点は中国語教育の特徴と言えよう。

しかし外発的動機に特化し過ぎると、外部環境の変化により継続的な発展が見出せなくなる可能性も否めないと考える。

エジプトの中国語教育も想像される以上に長い歴史を有する。そうした過程の中で、日本語教育でも取りざたされている教員不足や、教材などの問題があることにも触れてきた。これらの問題が学習意欲へ悪影響を及ぼしていることも、既に数多くの論文で述べられている。

特に中国から直送された教材が中心であることは懸念点であり、語学教育における現地文化への「適応主義」の重要性、現地ニーズへの合致の必要性が、今改めて問われているのではないだろうか。

 

【参考文献】

●「世界の統計 2024」総務省統計局

●国際交流基金ウェブサイト

カイロ大学から花開いた中東の日本語教育、国際交流基金と共に歩んだ50年の軌跡2022.10.12

https://jf50.jpf.go.jp/story/japanese-language-education-blossoming-in-the-middle-east-from-cairo-university/2024.7.14 閲覧

●朝日新聞朝刊 1977年4月10日付 記事「カイロ大学日本語科廃止の危機教員増員要求で大ゆれ」

●ワリードイブラハムエジプトにおける日本語教育と日本研究の実情-日本への関心の動機および日本語教育への期待と可能性-『日本語学』2022 冬vol.41-4 明治書院 P.46-55

●李会鹏『埃及开罗大学孔子学院发展现状调查报告』

(『エジプトカイロ大学孔子学院の発展に関する現状調査』)

云南大学2020

●李香叶『埃及高校汉语教学调查研究』

(『エジプト高等教育機関における中国語教育に関する調査研究』)

吉林大学2021

●刘娜『埃及汉语教育政策的演进和汉语教育的发展』

(『エジプトにおける中国語教育政策の推移と中国語教育の発展』)

国际中文教育研究2023

●罗萨林『埃及苏伊士运河大学孔子学院汉语教学情况调查研究』

(『エジプトスエズ運河大学孔子学院の中国語教育の教育状況に関する調査研究』)

哈尔滨师范大学2023