アメリカにおける外国語教育政策と日本語教育
竹村美緒
1. はじめに
米国の日本語教育を支えているのは小学校から大学までの学校教育機関である。全米外国語教育協会(ACTFL)の調査によると、日本語は米国人の学習したい外国語として、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語に次ぐ人気だという。ところが、2018年度の国際交流基金による調査では、2015年度調査から教師数が増加したのにも関わらず、教育機関数と学習者が減少という結果になった。また日本語学習者については、高等教育レベルは引き続き緩やかな伸びを見せている一方で、初・中等教育レベルは微減となった。この要因として教育予算の削減が挙げられる。
このように言語教育は、国や自治体の予算や政策などの社会状況に左右されることも少なくない。そこで本発表では、特にアメリカの言語政策を概観したうえで、初・中等段階の日本語教育の現状を明らかにする。
2. 多文化主義と言語政策における歴史的背景
2.1 過去に行われた主な言語政策
言語政策 |
目的 |
政策が導入された経緯・結果 |
バイリンガル 教育法(1968) |
英語を母語としない子どもたちの質の向上を目指した。 |
移民が英語以外の言語を駆使できるの能力は、優れた資質と評価された。アメリカ社会において異なった文化背景を持った移民はアメリカ社会の多方面の領域で国際関係を深めていく手段とされ、価値あるものとして尊重されている。 |
英語公用語運動 (1980年代) |
英語を唯一の公用語にしようとする運動。移民の英語力向上を目的とし、アメリカ人としてのアイデンティティを植え付けようとした。 |
英語ができない子どもにとっては困難を極める結果となり、中等教育機関及び高等教育機関で学ぼうとしても英語の授業についていけず、ドロップアウトしてしまう生徒が多く見られた。 |
NCLB法[1] (2002) |
学校教育において、学習者が一定の基準を上回る習熟度を達成できるような教育現場を目指した。 |
初等中等教育法(1965)の改定法。「所得」「人種」「障害」「英語学習者」などを期にした学力格差是正を明確な目標として打ち出し、置き去りにされてきた生徒たちの問題が改めて注目されるようになった。この法律では、外国語は必須科目の1つとされている。 |
AP日本語[2] (2006) |
中等日本語教育の向上および中等教育から高等教育へのアーティキュレーションの改善を目標とした。 |
高校生向けに作った大学の単位が取得できるテストで、高校の間にAPクラスを受講して、結果次第で大学の単位に換算/互換が可能。 |
NCELA[3] (2007) |
移民の子どもたちの英語教育を国家的に支援しようというプログラム。 |
2000年台に入り、移民の人格とアイデンティティをより重視し、個人の内面に目を向けるようになった。 |
3. 初等・中等教育における外国語教育の現状
2018年度の国際交流基金による『海外日本語教育期間調査』の結果を見ると、前回調査(2015)で減少した教師数が若干持ち直したものの、この増加分は非常勤やTAである場合が多い。また、日本語学習者については、初・中等レベルでは2006年度の調査以降初めての減少へと転じた。これには、2012年度に連邦政府による初・中等教育の外国語教育に対する助成プログラム「Foreign Language Assistance Program (FLAP)」の廃止が大きく関係していると考えられる。
これにより、外国語教育全般に対する公的支援の弱体化が顕著になっており、公立教育期間においては、日本語を含む外国語履修者の1クラスあたりの最低必要人数を大幅に増やしたり、1クラスで異なるレベルの生徒を教えたりすることによって、実質的な講座数を削減するといったケースが見られる。
その一方で、外国語科目が削減される中でも、日本語が残されている地域や、講座の新規開設・拡張、講師数の増加などにより、日本語教育が発展している地域も見られる。この背景には、学校区の行政担当や学校長、保護者の存在が大きいという。地域の自治意識が強いアメリカにおいては、こういった関係者の意向が実際の学校運営に直接反映される傾向がある。加えて、日系企業の進出など日本との経済的な関わりの動向も日本語講座の増減の要因として挙げられる。
また、コロナ禍の影響については今後の調査次第ではあるが、各州の財政悪化により教育予算のさらなる削減は避けられないとされる。
4. アメリカにおける日本語教育の問題点
武本(1977)は、アメリカにおける日本語教育の問題点について、大きく4点挙げている。
①「教師の力量と熱意」
アメリカでは、戦時中も含め長い年月日本語教育は行われてきたものの、「外国語」としての日本語教育の歴史が浅いために、日本語教授法の研究も遅れている。そのため、教師は自身の経験と勘に頼るしかない。
②「国情理解のバランス」
日本人は大国であるアメリカ及びアメリカ人のことを多く知り、また知ろうという意識が強いの対し、アメリカ人の日本及び日本人に対する態度は全くその逆である。日本語を学習する際にはゼロからのスタートとなり、習得が順調にはいかない。
③「自然環境の相違」
領土の広大さや気候の相違から日本語学習の理解に影響を及ぼす。
日本の桜は短命で、古来より日本の国花であって、武士道の鑑としてや詩歌や文学の主題として登場する。一方で、アメリカの桜は一か月以上も満開が続くこともあり、日本人の情感をアメリカ人は理解しにくい。
④「家の概念と人間関係の相違」
アメリカの家は、部屋毎に鍵があり、完全なプライバシーが保たれ、家族がつき合うのは今や食堂においてである。そこでは、社会生活の規則が入り込んでいて、親子でも個人対個人の相互に人格を認め合った人間関係が維持される。そのため、日本の村人意識や縦社会の人間関係を言葉の意味だけでは理解させることはできない。
4.1 日本語クラスを担当する教師の割合
教師の78.5%が日本語のネイティブ教師とされる。ただし、この割合は教育段階によって異なり、中等教育レベルでは、約半数52.6%の教師がノンネイティブ教師となっている。
4.2 日本語教師等派遣情報
・国際交流基金:米国若手日本語教員派遣14名(2010年10月現在)
全米5州の初等・中等教育機関に合計14名のTAを派遣しており、これは、海外の教育現場で研鑽を積む意欲のある若手日本語教員を米国の初等・中等教育機関に最長2年間派遣する事業。派遣者は、受入れ機関の日本語教師と一緒にティームティーチングを行うことで、現地校での日本語プログラムの強化を目的とする。
・JICAによる派遣は行われていない。
・その他、民間日本語学校から提携機関への派遣や国際交流団体によるインターン派遣プログラムが行われている。
5.まとめ
アメリカの言語政策は時代とともに移り行き、「個人」を尊重するような政策が近年では取られているものの、国内で広く使用されている「英語」を取り巻く主張する動きも見られた。現在では、新型コロナウイルスの影響もあり教育予算は削減される傾向にある。それにより、初等・中等教育機関においては、講座数を少なくする代わりにレベルが異なる生徒を同時に指導せざるを得ない現状であることが明らかになった。日本語教育に関しては、講座数の削減に加えてノンネイティブ教師の教師が半数を占めていたりするなど、日本語教育の質や生徒の日本語力向上には課題が残る。
参考文献
飯田学而(1983)『アメリカにおける日本語教育の現状: UCLA を中心にして』 國學院女子短期大学紀要,1,A29-A56.
高橋強(2021)『アメリカにおける多文化主義と言語政策について:中西部諸州を例として』日本英語文化学会,42,1.
武本昌三(1977)『アメリカにおける日本語教育とその問題点.』人文研究,54,45-79.
末藤美津子(1999)『アメリカのバイリンガル教育法における言語観 1968年法から1994年法までの変遷』比較教育学研究,1999(25),81-96.
吉良直(2009)『どの子も置き去りにしない(NCLB) 法に関する研究:米国連邦教育法の制定背景と特殊性に着目して』教育総合研究:日本教育大学院大学紀要, 2, 55-71.
参考資料
国際交流基金『日本語教育 国・地域別情報 米国(2020年度)』国際交流基金 - 米国(2020年度) (jpf.go.jp)(最終閲覧日2022年7月16日)
国際交流基金『海外の日本語教育の現状』2018年度 日本語教育期間調査(最終閲覧日2022年7月16日)
[1] No Child Left Behind法 (どの子も置き去りにしない法)
[2] Advanced Placement Program『AP Japanese Language and Culture』
[3] National Clearinghouse English Language Acquisition and Language Instruction Educational Programs