台湾「日本語世代」
―使用実態と意義を中心に―


張越、馮琪


1.はじめに
 台湾では、日本によって統治された1895年から1945年の50年の間にわたり、日本の植民地政策の一つとして日本語普及が推進された(合津2002)。同化を目指した政策の一環として、日本政府が台湾子弟に対し、日本式の教育を日本語で行っていた歴史がある。一般的には、「日本語世代」とは、1919年「台湾教育令」が実施されてから台湾で教育を受けた人たちのことだとされている。そして、日本語世代の人々は今でも日本語を自在に操ることができる。その日本語世代が集う場所として、玉蘭荘という施設があり、ここでは日本語による活動が行われている(佐藤2013A)。本稿は「日本語世代」の日本語使用実態、そして、彼らの日本語による活動の意味についてまとめることにする。
 
2.「日本語世代」の日本語使用実態
2-1.通時的に見る「日本語世代」の日本語使用実態
 合津(2002)は日本統治時代に日本語による教育を受けた漢民族の高年層のインフォーマント10人の言語生活について面接調査を行った。調査で収録した談話資料を分析し、漢族系間においてどのように日本語を使用してきたのかを、通時的に捉えてみた。そこで、以下の結果が得られた。

2-2.場面と相手による日本語の使い分け
 「日本語世代」が使っている日本語には、「台湾人」標準日本語3と「台湾人」俗日本語4がある。インフォーマントの日本語の発話形態に着目すると、私的場面において漢族系台湾人の間で日本語が使用される際には、閩南語あるいは客家語5と日本語を混ぜるというスピーチスタイル、すなわち、「台湾人」俗日本語が通時的に観察される。合津(2000)によると、公的場面は「台湾人」標準日本語を使い、私的場面は「台湾人」俗日本語を使うというように使い分けがあることが分かる。(合津2002)
 
3.「日本語世代」における日本語使用の意義
「日本語世代」は、台湾戒厳解除後初めて認識された人たちである。しかし彼らの日本語使用は実に止まることがなかった。日本占領時代から日本語を母語のように学べ、使っていた。そして台湾が返還されて、日本語を公の場では使えなくなってからは宗教集会や原住民との共通語として密かに使っていた。「日本語世代」が認識されてから、いろんなインタビューがされて、以下は佐藤(2013A)における二人の「日本語世代」の方に対してのインタビューから、戒厳中彼ら「日本語世代」はなぜ日本語を使っていたか、そして戒厳解除のあとに、なぜ日本語をこだわって使っていたかを明らかにしたいと思う。
▲李さん:戦時中は海軍特別志願兵として、日本のために戦おうとしていた。戦後国民政府のやり方に対し反感を持っている。彼にとって日本語を隠して使う理由は:
①自分は中国人ではない
  ②「中国人」や「中国語話者」に対して心理的距離感がある
  ③日本語は彼にとって唯一外部と付き合いができる道である
▲呉さん:日本統治時代から日本人として育てられてきた、故に彼女にとって日本語を使い続ける理由は:
  ①自分は日本人である
  ②中国人に対しての反感
③戦後中国語社会になり、中国語を使わざるを得なくなった社会情勢に対しての反発
 
4.おわりに
日本語世代は日本人として生まれ、育てられた人たちのことである。日本語の公的使用が禁止された時期では、中国語を使って外部と交流することが殆ど無く、同じ境遇を持った人たちと日本語で話し合って、支え合ってきたということがあるため、彼らにとって日本語はいままで生活の支えであり、使うことに対してこだわってきたと思われる。
 

1.公的場面として「学校、商店、病院、郵便局、銀行、駅、図書館、役所」を設定した。(合津2002)
2.私的場面は友人と家族との使用言語について尋ねた。(合津2002)
3.日本人や漢族系住民に対して使用していた比較的標準的な日本語。(合津2002)
4.漢族系間で使用していた他言語と日本語が混じった言語変種。(合津2002)
5.台湾の漢民族は、閩南語と客家語のいずれを母語とする。
 
参考文献
合津美穂(2002)「漢族系台湾人高年層の日本語使用-言語生活史調査を通じて-」『信州大学留学生センター紀要』第3号 p25-44
佐藤貴仁(2013A)「現在を生きる台湾日本語世代の日本語によることばの活動の意味」『言語文化教育研究』11号 p391-409
佐藤貴仁(2013B)「現在を生きるかつての「日本人」―台湾日本語世代の今―」『交流.台湾情報誌』866 p30-35

 

©2014 Yoshimi OGAWA