中国朝鮮族日本語学習者の日本語学習動機の変遷
叶国青
1.はじめに
中国における少数民族の一つである朝鮮族のコミュニティでは、日本語を学習する者の比率がきわめて高い。はじめて中国の日本語学習者数が調査されたのは、1990年で国際交流基金によるものであった。この時報告された学習者総数は24万9000人であったが、推計では、その30%にあたる7万6000人以上が朝鮮族の学習者でしめられていた(本田2012)。
朝鮮族日本語学習者はどういった経緯で日本語を勉強するのか?もちろん満州国地域にあたるという歴史的な影響を見逃すことができない。本稿では、満州国から、中国朝鮮族日本語学習者の学習動機の変遷についてをまとめる。
2.満州国時代の日本語教育
1932年、日本は中国の東北地域で「満州国」を建った。当地、日本語は満州語、モンゴル語とともに国語だとされた。もっとも重要な「国語」は日本語であるため、学校教育において、日本語とともに満州語あるいはモンゴル語が必修科目となっていた(本田2012)。実際には、満州国には国籍法がなく、日本からの移住者も、半島から移住してきた朝鮮人の国籍もあいまいな状態であった。「満州国」の住民とはいっても、日本語教育の普及状況については、朝鮮人とそれ以外の人々では、まったく異なっていた。朝鮮人は植民地教育の厳しさもあるが、日本語は朝鮮語に近いので学びやすいという言語的理由で、ほぼ全員が日本語で教育を受けた。それ以外の満州国の人はそうではなかった。当時の満州国では、日本語による教育もさることながら、それとともに「修身」や「国史(日本史)」も行われた。
3.戦後から文化大革命終了までの言語教育
1945年、日本の敗戦により、中国東北地域では日本語教育がまったく行われなくなる。日本統治下では、朝鮮族の人は学校で日本語のみ、朝鮮語を話してはいけない。戦後、ソ連軍の進出のより、日本語を話してはいけない状況になった(堤2002)。1949年、中華人民共和国成立し、朝鮮族は朝鮮語による教育を行うのが認められた。それに、ソ連との友好で、当時の中国の外国語教育では、ロシア語を第一外国語とすることが決まった。1960年代から、中ソ関係が悪化することにより、ロシア語教育は行き詰まった。外国語教育の重点はロシア語から英語にうつされた。そのごろ、いくつかの大学と外国語学校に日本語学科が開設されたが、学習者の数がごく少なかった。さらに、1966年から始まった文化大革命がもっとも高揚した時期には、外国語教育そのものが事実上停止した。
4.日中国交回復による日本語ブーム
1970年代に入ると、中国はそれまでの外交方針を転換し、1972年日本との国交が回復した。そのため、中国の東北地方に日本語教育が急速に復活した。1973年から各大学で日本語の教科書や辞書の編纂が始まり、ラジオの日本語講座の放送も始まった(国際交流基金2017)。朝鮮族の民族教育が本格的に再開されたのは1976年文化大革命終了後であり、日本語教育の再開もほぼ同時期であった。この時、日本語の教員をしていたのは①「満州国」時代に日本語教育を受けた人、②中国に残留した日本人(そのほとんどは中国人と結婚した婦人)、③文化大革命時代に、独学で、あるいは周囲の日本語話者について日本語を学んだ人である(本田2005)。
さらに、1979年、大学入学試験の科目に「外国語」が加わっている。1982年、中学校の外国語科目として、日本語は英語、ロシア語とともに公式に認められた。朝鮮族の人に対して、日本語がほかの外国語より学びやすいので、「受験日本語」教育をもっとも有効に利用したのは日本語を外国語科目に採用することであった。この時期日本語を勉強する動機はただ大学入試のためだと言える。
5.現代、朝鮮族における日本語学習動機
2000年代に入り、中国の初中等教育機関では、外国語としての英語は必修科目とするようになって、日本語の学習者数は一時的に減少した。一方、高等教育機関や学校教育以外の機関に学習者数の大幅な伸びが見られた(国際交流基金2017)。特に高等教育機関では職業大学における日本語学部が増加し、また、第二外国語として日本語を履修する学生も増えている。
今現在、朝鮮族の人は日本語の学習する動機は「日本に留学するため」と「将来の就職のため」である(韓2012)。興味深いのは、初中等教育では英語を学習する人にも大学の日本語学部に進学する人が多い。韓(2012)の意識調査によると、中学生は42人中16人、高校生は49人の27人が大学で日本語を勉強したいと答えた。その理由は、「経済が発展している日本で生活したい」「日本や日本文化に興味がある」「一つの外国語でも多く学ぶと、就職に有利だから」などの理由の他に、「英語ができないため、日本語を一から学びたい」という理由もみられた。筆者は日本にいる3人の朝鮮族の人に日本語学習動機と日本留学動機について聞き取り調査をした。
今回、三人の20代朝鮮族の人に日本語を学習する動機と日本留学動機ついての聞き取り調査の結果では、日本のアニメ、漫画などの日本文化が好き、母語に近いから簡単、日本で働きたいなどの将来のために日本語を学習し、日本留学したという理由が見られた。先行研究の韓(2012)の結果と一致しているところが出た。
6.終わりに
満州国時代の朝鮮族は殖民地の厳しさのため、日本語を学習せざるを得なかった。戦後、周りに残留した日本人に、または満州国時代に日本語を習得する人に日本語を習う人が多かった。70年代に入ると、日中国交回復のため、日本語ブームが起きた。さらに、大学入学試験のため、日本語を学習する人が多い時期もあった。現在、日本や日本文化に興味があり、日本で就職したいなどの動機のため日本語を学習する朝鮮族の人が多い。今現在、漢民族学校でも朝鮮族学校でも、英語以外の外国語の選択余地がなくなっている。しかし、小学校から中学校まで英語を習ってきた学生に高校で日本語選択の可能性を与え、大学合格までの日本語レベルをつけさせることは可能だと思う。朝鮮族の優勢を活かし高校で第2外国語として日本語の地位を確立することで、グローバルな人材育成につながり、朝鮮族の発展につながることになるだろう。
7.参考文献
韓秀蘭(2012)「中国延辺朝鮮族の中等教育における日本語教育の展望」『人文論叢』29 pp.175-183三重大学人文学部文化学科
国際交流基金(2017)日本語教育国・地域別情報https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/china.html(2019年7月6日最終アクセス )
堤智子(2002)「中国東北地区における日本語教育--植民地教育体験者の戦後」『外国語教育28』28 pp.43-54
本田弘之(2005)「中国朝鮮族の継承語維持方略と日本語教育」『社会言語科学』8 pp.18-30
本田弘之(2012)『文革から「改革開放」期における中国朝鮮族の日本語教育の研究』ひつじ書房
参考資料
朝日新聞(2006)「(写真が語る戦争 歴史と向き合う)「共栄圏」の教育 サムライ描き一等賞」
https://sslvpn.ynu.ac.jp/proxy/24d2330b/http/database.asahi.com/library2/main/top.php(2019年7月6日最終アクセス)
©2014 Yoshimi OGAWA