東方政策におけるマレーシアの日本語教育
―関係者へのインタビュー記事から―
                                  

 勝 成仁

 

1.はじめに
 1981年、マレーシアの首相であったマハティール氏は日本・韓国の先進技術のみならず労働倫理を学ぼうとする「東方政策」(Look East Policy)を打ち出した。これにより多くのマレーシア政府留学生が日本の大学や高専に留学し、30年以上たった現在も続いている。本発表では、マレーシアにおける日本語教育の変遷を踏まえつつ、彼らが日本を選んだ理由、留学前にマレーシアで受けた日本留学準備教育、留学後のキャリアについて、在マレーシア日本国大使館のインタビュー記事から明らかにしていく。

 

2.マレーシアにおける日本語教育
 戦後は「日本語教育空白の時代」もあったが、1981年以降、「東方政策」の一環として日本政府とマレーシア政府の合意に基づき、日本研修や留学のため言語教育が推進されるようになった(太田, 1998)。その結果として、国際交流基金のこれまでの調査(参考資料①)からも、1980年以降、日本語学習者数・機関数・教師数は増加傾向にあることが読み取れる。中等教育機関や高等教育機関など様々な教育機関で日本語教育が行われているが、「東方政策」推進のために作られた日本留学予備教育機関で日本語教育が行われていることがマレーシアの日本語教育の特徴の一つと言える。

3.東方政策における日本留学準備教育 ―AAJに焦点を当てて―
 日本留学前の予備教育機関として3つの学校(AAJ, KTJ, JAD(注2))が挙げられ、これらの学校に入学できる学生はSPMと呼ばれる大学入学試験で優秀な成績を収めたものだけである(岡本, 2014)。さらに、約2年間の準備教育のあと、日本留学試験に合格できたものが、日本の大学に入学、もしくは高専の3年次に編入することができる。その中でAAJでは、学生が日本の高等教育機関で授業についていけるようにするために、単に日本語を教えるだけでなく、数学・物理・化学などの教科も日本語で教えている(太田, 1998;岡本, 2014;根本ら, 2005)。彼らはわずか2年間で日本の学部レベルの授業についていける日本語能力並びに教科能力を身に付けなければならない。そういった状況で、彼らは午前8時から午後6時まで授業を受け、その後も寮で宿題、予習、復習を繰り返す生活を送っている(国際交流基金, 2018)。

 

4.在マレーシア日本国大使館による関係者へのインタビュー
 ここでは在マレーシア日本国大使館のHPに記載されている留学経験者、当時AAJ在学中もしくは日本留学中の学習者、教師へのインタビュー記事について示す(在マレーシア日本国大使館「東方政策」
<https://www.my.emb-japan.go.jp/Japanese/JIS/LEP/top.html>)。また、いずれのインタビューも2009年に行われたものである。
 まず、彼らが留学先として日本を選んだ理由については、もともと漫画やアニメ、日本のドラマなど日本にある程度興味があったことに加え、奨学金で日本に行けることを知り、日本を選んだと考えられる。
 次に、AAJの学習については、学生は漢字の学習や物理などの教科学習に特に困難を抱えていることや、教師は留学試験合格のために漢字を2年間で1400字、さらに日本の高校で3年間かけて学ぶ教科内容を1年で教える必要があり、限られた時間で授業を行っていることが分かった。また、試験終了後には日本文化について教えるといった日本生活に順応するための授業も行っていることが判明した。
 最後に、留学経験者へのインタビューから日本の大学を卒業したあと、日本留学の経験を活かし、工学系の日系企業や金融機関に就職したものや、帰国してAAJで日本語教師になったものがいるが、その中でこれまで学んだことをどのように活かしていくか迷いが生じているものがいることも分かった。

 

5.考察・まとめ
 立堀(1999)が指摘するように、インタビュー記事から留学生たちは日本での大学生活、社会人生活を通して、「東方政策」が目標とするところの一つである日本的価値観の受容にある程度成功したと考えられる。さらに、留学生の多くが留学後も日本とマレーシアをつなぐ貴重な人材になっていると考えられる。また、日本留学動機については、永岡(1992)がマレーシア人公費留学生の日本留学動機の中で、日本への留学プル要因について「日本文化社会への興味」「就職に有利」「奨学金を得た」などを挙げたように、今回のインタビュー記事からも同様の結果が見られた。一方で、インタビュー記事から、卒業後に自身のキャリアに不安を感じているものもいた。岡本(2014)は、彼らの大学卒業後の就職先について調べる中で、マレーシア日系R&D(Research and Development)企業の社長へのインタビューから、「過去に採用したルックイーストは、この『Why』と『How』に少し欠けるところがあった。ところが、ルーチンワーク的な業務では力を発揮できることが解かった」(32-33)という証言を得ている。こういったことからも東方政策の留学生は、留学準備教育や日本での生活を通して勤勉さなどを受容していると考えられる一方で、留学準備教育での受験勉強、日本での大学生活だけでは、自分がなりたい人材や企業が求める人材にはなっていないという可能性も考えられる。そういった中、国際交流基金(2018)の現地レポートから、AAJでは受験勉強が終わった後に「2年間の集大成―プロジェクトワーク―」として、これまでの受験勉強のような学習ではなく彼らが日本語を使って自分の知りたいことについて調べる学習活動を取り入れていることが示されている。こういった学習が今後の留学生の成果にどのような影響を与えるかまだ分からないが、このような学生が主体となる学習活動を準備教育の段階で早めに取り入れていくことによって、就職の際に彼らが感じるようなギャップを埋めることができる可能性があると考えられる。
 全体を俯瞰すると、留学生が「東方政策」の目標の一つとする日本の労働倫理を学ぶことができていると感じた一方で、就職の際にギャップを感じている学生がいることや、日本語教師など理工系の職業に就いていない学生がいることも踏まえると、予備教育課程も含めた「東方政策」における日本留学の今後の進め方について、両政府は再考していく必要があるのではないかと感じた。

(注1)マレー人(ブミプトラ)の優秀な生徒を集めたエリート養成の全寮制中等教育機関(山田, 2011)。
(注2)AAJ,KTJ,JADの正式名称は、それぞれAmbang Asuhan Jepun, Kumpulan Telnikal Jepun, Japanese Associate Degreeであり、2年間、日本語のみならず理系科目を中心に教科学習も行う(岡本, 2014)。

 

参考文献
太田陽子(1998)「マレーシアにおける日本語教育」『一橋大学留学生センター紀要』2,pp.45-55.
岡本義輝(2014)「ルックイースト政策 30 年の功罪と今後の課題」『南山大学アジア・太平洋研究センター報』9, pp.26-43.
立堀尚子(1999)「マレーシア東方政策による日本留学の意味」『国際開発研究フォーラム』13, pp.179-196.
永岡真波(1992)「マレーシア人留学生の日本留学選択動機」『比較教育学研究』1992(18), pp.91-102.
根本和昭,菅野和弘,梶谷秀継,中村一治,丸茂克広,伊藤晋司(2005)「マレーシア政府派遣学部留学生に対する予備教育」『物理教育』53(1), pp.34-37.
山田勇人(2011)「マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状」『プール学院大学研究紀要』51, pp.295-303.
葉蕙(2010)「マレーシアにおける日本文化―日本語教育から文学翻訳まで―」『立命館言語文化研究』21(3), pp.83-93.

参考webサイト(※いずれのサイトも2019年6月30日最終アクセス)
国際交流基金(2018)「世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート)マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース-2018年度-」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/dispatch/voice/voice/tounan_asia/malaysia/2018/report03.html>
国際交流基金(2017a)「世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート)マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース-2017年度-」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/teach/dispatch/voice/voice/tounan_asia/malaysia/2017/report03.html>
国際交流基金(2017b)「2015年度海外日本語教育機関調査結果」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey15.html>
国際交流基金(2017c)「日本語教育 国・地域別情報-マレーシア(2017年度)」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/malaysia.html>
国際交流基金(2014)「2012年度海外日本語教育機関調査結果」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey12.html>
国際交流基金(2011)「海外日本語教育機関調査結果 2009年」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey09.html>
国際交流基金(2008)「海外日本語教育機関調査結果 2006年」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey06.html>
国際交流基金(2005)「海外の日本語教育の現状-日本語教育機関調査・2003年-概要」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey03.html>
国際交流基金(2000)「海外の日本語教育の現状-日本語教育機関調査・1998年-概要」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey98.html>
国際交流基金「海外日本語教育機関調査 過去の調査による日本語教育機関数・教師数・学習者数」<https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/surveyold.html>,
在マレーシア日本国大使館「東方政策」
  <https://www.my.emb-japan.go.jp/Japanese/JIS/LEP/top.html>

©2014 Yoshimi OGAWA