タイの言語政策と日本語教育の展開
朝倉郁子
1. はじめに
タイと日本の関わりは大変古く、14世紀にはアユタヤに日本人町が形成され、最盛期には1000~1500人の日本人が住んでいたとされる。日本語教育が本格的に始まるのは戦後であり、現在までに様々な変遷が見られる。本稿ではその中からタイの言語政策と日本語教育の展開に焦点を当て述べることとする。
2. タイの言語政策
2.1 背景
タイの主たる民族はタイ族だが、古来より近隣諸国との交遊は頻繁であり、タイ族以外に中国系の華僑、華人、タイ南部に住むマレー系イスラム教徒、北部山岳地帯にすむ少数民族、カンボジア人、ベトナム人、インド人、パキスタン人、などによる複合国家である(原田 2004)。
タイの公用語はタイ語であり、以外にも80以上の言語が話されているが、教育現場での教授用語、メディア用語はタイ語ただ一つである。また、タイは東南アジアの中でも植民地経験を持たず独立国を通したため、他の近隣諸国に比べ言語政策そのものに対する意識は薄い。したがって、タイにおける言語政策は、国家社会経済開発と連動して策定された国家教育開発の一部として位置づけられ、タイ語の強化と国家の発展に役立つための外国語教育の促進を中心に進められてきた(原田
2004)。
2.2 外国語教育
タイの第一外国語は英語(必修)である。第二外国語は原則として後期中等教育(高校)から開始される。大学入試科目には、ドイツ語、フランス語、日本語、中国語、アラビア語、パーリ語の6科目から選択する(国際交流基金 2017)。
タイは歴史的に欧米諸国との外交・貿易や近代化・国際化に対応し、また、王室も英語教育を保護推奨してきたため、英語の地位は圧倒的に高い。現在では日系企業でも社内用語は英語であることから、使用頻度は拡大している(原田 2004)。
3. タイにおける日本語教育
3.1 日本語教育の沿革
タイの日本語教育は第2次世界大戦直後の1947年に始まり、その後は官民の努力で著しい発展を遂げてきた(Bussaba 2009)。Bussaba(2009)ではタイの日本語教育の歴史を三期に大別している。
3.2 日本語教育の現状
1991年に、日本語は後期中等教育学校(高校)の第二外国語の中の1科目に加えられた。さらに2010年に中等教育レベルを国際化に対応できる水準にすることを目指した「WORLD CLASS STANDRD SCHOOL」(以下WCSS)が導入された。文化系に限られていた英語以外の第二外国語の履修が理数系も含めたクラスで可能となり、中高における日本語教育が大幅に拡大した(国際交流基金 2017)。
(参照:国際交流基金 タイ2017年度 2015年度日本語教育機関調査結果 学習者数グラフ)
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/thailand.html
教員は約70%がタイ人だが、日本人教師も30%ほどいる。2013年から「タイ中等教育公務職員日本語教員養成研修」が実施され、これにより中等教育における日本語教師は量・質ともに拡充できたといえる(国際交流基金 2017)。
中等教育で使われる教材は『あきこと友だち』(国際交流基金バンコク日本文化センター)、『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)がほとんどである。学習時間が少ない選択科目では「こはるシリーズ」(国際交流基金バンコク日本文化センター制作)が広く使われている。
3.3 日本語学習者の特徴
タイにおける日本語学習者の動機は、日本語学習が始まった当初は「就職に有利」という実利思考の色が濃かった(Bussaba 2009)。しかし、学習者の増加傾向が続く中等教育段階では、決して日本語が好きだから学習しているわけではなく、教育省・学校の方針で第二外国語が義務付けられているからに過ぎず、学習動機づけは希薄である(国際交流基金 2017)。
2015年の日本語教育機関調査によると、学習目的について「マンガ・アニメJ-POPが好きだから」という回答が一番多く、「日本への観光旅行」と答えた人も増えている。これらが学習動機となり、学校教育以外の機関で日本語を学ぶ学習者が2012年に比べ70%以上増えていると考えられる(国際交流基金 2017)。
3.4 タイの日本語学校
タイ早稲田日本語学校 (Waseda Japanese Language and Culture School)は、サハグループ(Saha
Group)と学校法人早稲田大学により設立された。2003年4月にバンコク校を開校、2010年10月には早稲田国際文化センター内にシーラチャー校を、2015年10月にはチェンマイ校を開設した。本稿の作成にあたり、現在の学校状況や学生動向を検証したく調査を依頼した。
年間受講者数は延べ4,000人。1学期あたりの学生数は3校合わせて1,300人になる。コースは週5回のDAYコース、週2回のEVE(イブニング)コース、週末コースとなる。DAYコースの一番上のクラスはN2レベルである。
学習者の傾向
DAYコース:留学希望者、タイで日系企業に就職を希望する人、ただ単に日本語を勉強したい人。
EVEコース:バンコク、シーラチャーは社会人向けコースとなっているので、社会人中心だが、大学生も多く受講している。
週末コース: いろいろな人が受講。
卒業後の進路について、DAYコースの学生は留学、タイ国内での就職が多い。しかし大卒が多いので、留学といっても学部留学はほとんどいない。
タイの教育についてタイ早稲田日本語学校N主任に話を聞いたところ、
『タイは優秀な現地の先生がいて、そういう人たちが昔から日本語教育を担っていたので、間接法で教えるというのが主流だったと思います。(そこに日本人教師が会話の授業とか、中級以上のクラスとかを担当するとか、サポート的に入る形)早稲田がそこそこ成功できたのは、そんな中、ネイティブの先生が初級から直接法でやるというのが斬新だったからだと思います。』
との回答があった。
また、近年タイ人日本留学生が減少しているのでは、との問いには次のような回答があった。
『減ってるわけじゃないんだよね。他の国のように増えていないというだけで・・・。』
―もっと来てほしいなあと思いますが、きっと自国で需要があるのでしょうね。
『なんだろうね。タイは中国やベトナムと違って学部留学はあまりいないんだよね。タイ国内の大学教育がそこそこ評価されているんだと思う。まだまだ日系企業が多いから日本語できたら就職に有利ってのはあるけど、それも今後続くかどうかは微妙だよね・・・』
タイ在歴18年の主任から見たタイ人日本語学習者の動きは、本稿で取り上げた日本語学習の背景と合致する点が多いと感じた。
4. おわりに
2012年~2014年に、タイで日本語教師をしていた頃は日本語教師になりたてで、学習者や日本語教育の背景まであまり関心を持たずにいた。しかし、経験と共に学習者の背景や動機づけは、のちの自律学習に大きく関係してくるので極めて重要だと感じている。また、本稿では日本語教育の沿線を主に取り扱ったため、国際交流基金やJAICAの取り組み、多くのNPO・NGOの動き、日本語教師の養成ということには触れられなかった。日本留学の伸び悩みは奨学金の制度や学習者環境が大きく影響していると考えられるので、まだまだ検証する課題が多くあると思われる。その中に日本への留学増加へのヒントがあるかもしれないと感じる。
参考文献
原田明子(2004)「言語政策から見たタイの日本語教育」『留学生教育』(9)-12 留学生教育委員会
国際交流基金-タイ(2017)
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/thailand.html (最終閲覧日 2019年6月30日)
タイ早稲田日本語学校HP https://waseda.ac.th(最終閲覧日 2019年6月30日)
内閣府NPOポータルサイト キャンヘルプタイランド
https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/111002218 (最終閲覧日 2019年6月30日)
Bussaba Banchongmanee(2009)「タイにおける日本語教育」『東京外国語大学日本語研究年報』13
©2014 Yoshimi OGAWA