南洋群島における日本語教育

 

會田篤敬

1. はじめに

 パラオのアンガウル州の憲法には、公用語として日本語が記されている。これは、第二次世界大戦前に、南洋群島で日本語教育が行われたという歴史的経緯に由来する。本発表では、当時の教育制度と教育現場の実態についてまとめ、南洋群島における日本語教育の特徴を明らかにする。

 

2. 南洋群島における統治の歴史  

※表1は森岡 (2006)、表2は宮脇 (2006)を基に発表者が作成

表1 南洋群島における統治の歴史

統治国 統治年 統治終了時
スペイン 1885~1898 米西戦争
ドイツ 1899~1914 第一次世界大戦
日本 1914~1945 第二次世界大戦

表2 南洋群島における日本の統治の歴史

時代名 時期
軍政時代 1914(大正3年12月)~1918(大正7年6月)
民政時代 1918(大正7年7月)~1922(大正11年3月)
南洋庁時代 1922(大正11年4月)~1945(昭和20年8月)

3. 軍政時代

・初期の日本語教育は、海軍隊員等によって始められた暫定的なものだった
 ・南洋群島小学校規則(1915)の公布によって3つの教育本旨(1.徳育に重きを置く、2.日本語ではなく国語と表記する、3.祝日儀式を宮城遥拝・君が代・教育勅語の順に行う)が定められた
・南洋群島の日本語教育が「皇民化教育」と「国語教育」へと方向づけられた (森岡2006)

表3 軍政時代の教育体制 ※森岡 (2006)を基に発表者が作成

時期 修業年数 教科目 全時期 日本語時数
 初期の教育 4年 日本語・算術・修身・唱歌・体操 19 12
南洋群島小学校規則(1915)の公布以後 4年

修身・国語・日本歴史・

地理・算術・理科・手工・図画・

唱歌・体操・

農業(男)・裁縫/家事(女)

1・2年

 24

1・2年

14

3年

    30

3年(男)

14

4年

    32

3年(女)

12

4. 民政時代

・南洋群島島民学校規則(1918)と南洋群島尋常小学校規則(1919)の公布によって島民児童と日本人児童の教育をはっきり分けた(島民学校は島民児童の学校・小学校は日本人児童の学校) (森岡2006)

・南洋群島島民学校規則(1918)と南洋群島尋常小学校規則(1919)の公布によって島民児童と日本人児童の教育をはっきり分けた(島民学校は島民児童の学校・小学校は日本人児童の学校)

(森岡2006)

表4 民政時代の島民学校の教育体制 ※森岡 (2006)を基に発表者が作成

修業年数 教科目 全時数 日本語時数
 3年 修身・国語・算術・図画・唱歌・体操・手工/農業(男)・裁縫/家事(女)

1年

20

1年

10

2年

22

3年

11

3年

25

3年

13

5. 南洋庁時代

・南洋庁公学校規則と南洋庁小学校規則の公布後、島民学校を南洋庁公学校と改名し、「公学校は国語を常用しない児童が学ぶ学校」・「小学校は国語を常用する児童が学ぶ学校」に分けた

(森岡2006)

表5 南洋庁時代の教育体制 ※森岡 (2006)を基に発表者が作成

時期 修業年数 教科目 全時数 日本語時数
 南洋庁公学校規則公布以後 3年 修身・国語・算術・図画・唱歌・体操・手工・農業(男)・家事(女) 24  12
南洋庁公学校規則改正後 4年 修身・国語・算術・理科・手工・唱歌・体操・農業・家事(女) 1年      23  12
2年(男)25
2年(女)26
3年(男)27
3年(女)29

南洋庁時代の日本語教育の特徴:通訳・語彙は絵や写真で教授・発音は教師が読んだ後に生徒が1人ずつ読む際に訂正・読解は読む前に背景説明をして文章ごとの説明はなし・授業外でも日本語を話すことを強要(多仁 2006)

※中島敦も当時の日本語教育(生徒・授業の様子)について語っている(別資料①)

 

6.南洋群島での日本語教育で使用された教科書  

表6 南洋群島で使用された教科書の編纂の歴史 

※森岡 (2006)を基に発表者が作成

編纂次 編纂された教科書 編纂者
第一次編纂 「南洋群島国語読本」巻1と2 (1917)・巻3と4(1919) 杉田次平
第二次編纂 「南洋群島国語読本」本科用 巻1と2と3 (1925) ・補習化用 巻1と2 (1926) 芦田恵之助
第三次編纂 「南洋群島国語読本」本科用を6巻に(1932)・補習化用を4巻に増補改纂(1933) 岩崎俊晴
第四次編纂 「公学校国語読本」本科用6巻・補習化用4巻(1937) 梅津隼人
第五次編纂 中島敦が編修書記に就任(1941)・辞任(1942) そのため未完了 中島敦

「南洋群島国語読本」の特徴(別資料②):皇国民の象徴・日本文化・南洋的挿絵(宮脇 2006)・多数のカタカナ表記・表音式仮名遣い・デスマス体・漢字は日常生活で見るもののみ(多仁2006)

 

7.学校外での日本語学習環境

①ボーイ制度 ※森岡 (2006)・多仁(2006)を参照

・放課後に生徒が日本人(政府役人など)の家に行って家事を手伝い、小遣いをもらうというもの
 ・この制度は、学校規則等には書かれていないため、校長が独自に始めたものではないかと考えられている
・目的が「教育(しつけ・生きた日本語の習得など)」・「安い労働力の確保」なのかは、不明である
・南洋群島民が日本語を話せる要因は、教育の成果というより、ボーイ制度の影響が大きい可能性

②日本人移民(移民数の増加・結婚)※森岡 (2006)・渋谷(1999)・由井(2000)を参照

・パラオには多数の日本人が居たため、・入学前にも日本人・日本語と接する機会はあった
 ・パラオ人女性の中に日本人と結婚する人が多くいたことも日本語が普及した要因である可能性

今日、パラオで日本語が話されている要因:違島出身者間の共通語・書き言葉としてのカタカナ・政治経済分野の借用語の多さ・戦後の日本との交流 ※ロング・今村(2015)・由井(2000)を参照

 

8.まとめ

 日本は、南洋群島で皇民化教育としての日本語教育を行なったが、その様な教育環境下でも幸せな時間を過ごし、良い思い出として語る者も居る。そこには、人々からの優しさ(ボーイ制度での日本人とのふれあい等)があった。このことから、「日本語教育制度の良し悪しについて考えること」は大切だが、それと同時に「日本語教育に関わる1人の人間としてどうあるべきか」ということを考える必要性を改めて認識した。

 

参考文献

渋谷勝己(1999)「ミクロネシアに残る日本語(2)パラオの場合 (特集 オセアニアの言語と文 化)」『言語』28(7), 76-79, 大修館書店 

ダニエル ロング・今村 圭介(2015) 「日本語が公用語として定められている世界唯一の憲法 :パラオ共和国アンガウル州憲法」,『人文学報』, 3, 61-77

由井 紀久子(2000)「ミクロネシアの日本語 (特集 日本語のウチとソト--この百年) -- (日本語教育の百年)」『国文学解釈と鑑賞』65(7), 133-138, 至文堂 

森岡純子(2006)「パラオにおける戦前日本語教育とその影響─戦前日本語教育を受けたパラオ人の聞きとり調査から─」『山口幸二教授退職記念論集―ことばとそのひろがり(4)』 立命館大学法学会

宮脇 弘幸 (2006)「南洋群島『国語読本』は何を語るか」 『植民地教育史研究年報』9, 35-49

多仁安代 (2006)『日本語教育と近代日本」, 岩田書院

石村卓雄 (2017) 「歴史と文字表記」,ヒューマンアカデミー

ダニエル ロング・斎藤 敬太・Masaharu Tmodrang (2015)「パラオ語で使われている日本語起源借用語」 『人文学報』 3, 79-102

 

©2014 Yoshimi OGAWA